気晴らし

私の夕方のウオーキングコースは3つあって、その中のひとつにパチンコ店の駐車場横を通るというものがあるんですけど、5時過ぎると、多いときは100台くらいの車が止まってますね。

仕事終わりで「パチンコでもやるか~」てかんじで来店してるんでしょうね。私は賭けごと全般に才能も興味もないので、以前だったら「パチンコなんてやるのは人生のムダだ」くらいにしか思ってなかったんですけど、最近じゃあ「人間、気晴らしのひとつやふたつは必要だよな~」なんてね、思ってますね。まあ、自分ではやりませんけどね。

タバコもだいぶ前にやめてますけど、「人間、身体に悪いことのひとつくらいは、あってもいいんじゃないの」なんて言ったりしてますね。

生きていれば、抜き差しならないストレスは、そりゃあ有りますからね。

そんな中、理想的な生活態度だけで通すなんてのは、なかなかそうもいかないでしょうから、まあ、本当にダメなことはダメですけど、多少の気晴らしは許容の範囲だと思いますね。

それくらいに、この世を生きぬく人間体験というのは、過酷な場合はほんとに過酷ですからね。

「この世は修行するとこであって、人が暮らす本来の場所は、この世を去ってからのところだ」なんてことを言う人もいるくらいで、「へえ~そうなのか」なんてね。まあ、それを信じる信じないは別にして、「それじゃあ、ひとつ今日も一日修行してみっか」なんてね、気晴らしのひとつもしながら生きて行くという、そんなことなのかも知れませんね。

「気晴らし」への1件のフィードバック

  1. 昔は、ギアミッション車でギア・チエンジが決まったときの「クルマを御したぜ」という満足感が気晴らしになりました。サーキットだと尚更でした。でも、今は電気自動車のスポーツタイヤをいかにして効率よく使うかですかね。このクルマは、滑らかで気持ちよい加速感が、ゆっくり走っていても感じられるからです(ゆっくり走ることが得意です)。

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