夏、まっ盛り

ハービー・ハンコックのアルバム ”ヘッド・ハンターの中の曲、 ”ウォーター・メロン・マン”は真夏の曲ですね。

まあ、「スイカ男」ですから、当然といえば当然ですが、曲が始まると、もう、あたりにはアフリカだかどこだかの蒸し暑い月のない夜が広がって、昼間の太陽に焼かれた熱のさめやらぬ街路から、麦わら帽子をかぶったスイカ売りの男がやって来そうで、暑さにぐったりした身体と心が、極限まで水分を貯めこんだスイカの赤くジューシーな果肉を欲(ほっ)して、その呼び声のするほうにフワフワと進んで行ってしまう、とまあ、そんな夏の幻想にとらわれる、ふしぎな名曲です。

先日、テレビを見ていたら、気温40度を軽く超えるアフリカの地方に住んでいるおねえさんが、インタビューに応えて、「この暑さは神様からの贈りものよ。私はこの暑さが大好き!」と言っているのを見ましたが、そのポジティブシンキングに、「よい言葉をいただきました。私もその精神を見習わせていただきます」と、頭の下がる思いでした。

今、まさに夏まっ盛り、「あづいよ~」とうなだれてばかりもいられないので、私もできる限り、あのアフリカのおねえさんのように快活に、この暑さを乗り切っていこうと思った次第です。

(モクモクと入道雲)

 

” ゴミ分解光線によるごみ処理工場(仮)”

先日の日経新聞に、中国が廃棄用ペットボトルを受け入れなくなったので、日本の業者は連日運びこまれるペットボトルの山にボー然としている、という記事が載ってました。

投げ捨てられたプラスチックゴミが微粒子化して、世界中の海を汚染しているというのも、大変な問題ですよね。

これは本当は、プラスチックが生活の中に広がった50~60年前に対策しとかなきゃいけないことだったんですよ。

私は、小学校5年生のとき、すでにそのことに着目しましたね。

夏休みの自由研究に、「収集したすべてのゴミを物質分解光線で分子にして、それを役に立つ原料にする」という ”ゴミ分解光線によるゴミ処理工場(仮タイトルです)”を考えて、それを少年マガジンの特集ページのような一大スペクタクル絵画にしてみようという計画を、夏休みの初めに立てたのですが、夏休みじゅう遊びほうけていて、そんな計画のことはすっかり忘れてしまい、ついでに夏休みの宿題もすっかり忘れてしまって、休みが終わるころには、「やらなきゃいけないことは、なんにもできない自分」にガク然として、毎年変わることのない憂鬱(ゆううつ)な夏の終わりを体験したという、まあそんなワケなのでありました。

 

”夏の日の恋”

映画 ”避暑地の出来事”は1959年封切りといいますから、私が3歳のときです。リバイバル上映もされてるはずですけど、一度も見たことないんですね、私は。

でも、”避暑地の出来事”というタイトルを聞くだけで、もう気分は遠く彼方の避暑地(この避暑地という響きだけでも私の脳裡には、はるかスクリーンのむこう側にある、現実とは隔絶した永遠にさわやかな夏の別世界が空想の中で広がります)、そんなパイン・アイランドの海辺での、私の知るはずのないひと夏の甘い思い出が、なんだかなつかしく胸をよぎるのは、どうしてなんでしょう?

それはこの映画のテーマ音楽、マックス・スタイナー作曲、パーシー・フェイス・オーケストラによる印象的な曲、「夏の日の恋」のせいではないでしょうか。

曲の冒頭から、夏のけだるく、カゲロウの揺(ゆ)れる浜辺と、そこに打ちよせる波と、遠くまで続く海の光輝くさまが、私のまぶたの裏側いっぱいに広がって、もう映画、見なくても大丈夫、夏の避暑地で起こるあれやこれや、胸のときめきや、禁じられた恋や、その結末のすべてが私の中には充満して、「ああ、あのときの恋の思い出は、今にして思えば、なんだか夢のような気さえするなあ」と、ありもしなかった避暑地の出来事を、なつかしく思い出せるような気分になってしまう、美しい架空の追憶を呼びさましてくれる…、そんな夏の名曲です。

(昔のアメリカのポスター 部分)

レスピーギ

レスピーギというと、なんでしょうかね、その名前は。イタリアの忘れられた王宮の裏庭のにおいといいますか、そこに植えられた針葉樹から放たれる、遠い記憶を呼びさますかおりといいますか、私にとって、そんなような連想に至る響きのある名前ですね。

これは単に、レスピーギ作曲の交響詩、「ローマの松」というタイトルからの連想と思われるでしょうが、実はそうでもないんですね。

私は「ローマの松」だろうが、「アッピア街道の松」だろうが、それほど関心のある曲ではなくて、レスピーギの真髄はやはり、「リュートのための古風な舞曲とアリア」だと思ってますからね。

美しい曲です。これこそレスピーギの音楽の白眉(はくび)、忘れられた王宮の、その裏庭の樹々のかおりが呼びさます数奇な物語りを伝え聞かす、叙情的にして典雅な調(しら)べだと思います。

レスピーギという名前自体が、この曲のイメージを予言してますね。

なんという名前であることでしょう。こんな名前のもとに生まれてみたいものだ、と思うような音の響きを持った名前です。

そのレスピーギという名を持つ作曲家が、この「リュートのための古風な舞曲とアリア」を作ることになるとは、なるほど世界にはこのように美しくもふしぎな同調が時折おこるということの、そのよい例と言えるでしょうね。

(部屋にある枯れたバラ)

 

ジブリの夏

今年もまた、ジブリの夏がやって来ます。

日テレの金曜ロードショーで、夏になるとジブリ作品を放映するのは、もうほとんど日本の夏の風物詩ですね。

私の場合、一番の理想はあらかじめ放映の予定を知らなくて、夕方くらいに、仕事の休憩でふとテレビをつけると、たとえば夜9時からの”となりのトトロ”なんかの予告をやっていて、「ほほ~、今年もまたジブリの夏がやって来たんだな~」なんて思って、さてさて、夜8時55分くらいにはテレビの前に座って、ホージ茶なんか飲んで、いよいよ”トトロ”始まりました、というこの偶然感、つまり、自分が意図的にレンタルビデオなんかを借りて来て観るんじゃないかんじ、この「ふとテレビをつけた」ことから始まったジブリ作品の鑑賞という、ここのところがつまり、私にとって日本の夏の風物詩感を、いやがうえにももり上げてくれる要(かなめ)のところだというわけです。

それは言ってみれば、下町の路地裏を歩いていたら、ふと満開のアサガオの鉢植えに出会いました、というようなさりげない情緒感と似ていて、私はこの偶然の邂逅(かいこう)に、そこはかとなく心を打たれ、ホージ茶飲みながら、日本の夏、ジブリの夏のひとときに酔いしれるという、まあそんなワケで、今年ももうすぐそんな夏の夜がやって来るんでしょうね。

サーカス

サーカスはふしぎです。

暑い夏の夜、道をさまよい歩いているうちに、いつしか迷いこんでしまった魔法の広場でくり広げられるアクロバティックな演技と、奇術師たちのトリックショー。

天幕のすき間からのぞく漆黒(しっこく)の天空には、無数のダイアモンドがちりばめられ、メガホンで拡声されたファンファーレとともに登場したサーカスの演技指導者が私に、はやくパレードに加わるようにと促(うなが)します。

猛獣使いを先頭に、甘美な夢の行進と一体となって、私は家への帰り道がわからなくなり途方(とほう)にくれますが、やがて幻想と錯乱のうねりに巻き取られ、もう自分がだれだったかもすっかり忘れてしまいます。

”部屋の中で花火をすれば、台所番たちは大喜び”。

私が馬で応接室を駆(か)けぬければ、彼らはビールをあおって笑い声を押し殺します。楽しくてたまらない室内ゲーム。

だれひとりとして見覚えのない家族にかこまれて、私は上機嫌(じょうきげん)でゲームのなり行きに胸をときめかせ…。奇妙な家族は、片手で拍手。部屋にはだれも正気な者など一人もいないといったありさまです。ルーファスにサイラス、ヨナと、どうしても思い出せないだれかさんと、”四人で出かけりゃ、だれ一人として帰って来ない”。

いつまでたっても私は部屋に一人のまま…。なんだか変な夢ですね。

(高1のころの水彩画  ”サーカス”  雑な塗りかたです)

ジェスロ・タル

古代ケルトの時代から、イギリスに転生をくり返し、ある時は天井桟敷の吟遊詩人、ある時は森に住む木こりの歌うたい、あるいはまた、マザーグースを弾き語る旅の辻音楽師だったりした天性のロック・ミュージシャンはといえば、それはイアン・アンダーソンでありましょう。

彼がひきいるグループ”ジェスロ・タル”こそはイギリスくさくて美しい、唯一無二なロック音楽を奏でるヴィルトゥオーソであることを、私は皆さまにお伝え申し上げる次第です。

イギリスの湿気を含んだ古(いにしえ)のメロディーが、ビートに乗って、はるか時代の彼方(かなた)から、時を越えて現代によみがえったとでも言うべき曲の数々。

私は高3の終盤にこのグループを知り、大学生活の始まりはまさにジェスロ・タルにどっぷりと首まで浸(つ)かった生活でした。

大学の寮で一緒だった写真科のスガワラ君に、「スガワラ君、ビートルズもいいけど、ブリティッシュロックの土着的な陰影、ちょっとおそろしいところのある童話のように気がかりな音楽に接してみたいと思ったら、ジェスロ・タルを聴いてみたまえ」なんて、エラそうにのたまって、スガワラ君も私の言うことを真(ま)にうけて、けっこうはまって聴いてましたね。

ジェスロ・タルの名盤はいろいろありますが、まず最初に私が皆さまにおすすめするということになりますと、彼らの4枚目のアルバム、”アクアラング”ということになりましょう。

(”アクアラング” LPジャケット)

革命の時代

これからは意識の革命の時代ということらしいです。斎藤一人さんが言ってました。「これからの千年で、人の霊魂は不滅で、何度も生まれ変わるということが一般常識となる、そんな時代」のようです。

千年もかかるんですかね。あと15年くらいでなんとかならないですかね。

今世紀の初めごろ、マッハという科学者は原子論を否定して、「だれか原子を見た者がいるのか?」と言ったと聞いたことがありますが、音速の単位に名を残すほどの科学者でもそんなですから、当時、原子論なんて言われても一般の人には「何のこっちゃ?」となるような話しだったでしょうけど、今では見えなくても原子を否定するような人はいないわけで、それと同じで、人が死ぬとその存在は霊的領域に移って行くなんて話しも、近いうちにそんなにキワモノ的扱いを受けなくなる気もするんですけどね。

まあ、もし死んでもその先があるとなれば、物の価値から人生の意味まで、あらゆることが根底から変わるでしょうね。

そのうえ、斎藤さんが言うように、自分のやったことはタネで、次の生では、その結果を刈り取ることになるんだとなれば、まくタネはいいのにしとこ、ということで、「ムシャクシャしたから人を殺しました」なんてのは「得にならないからやめとこ」となって、人のためになれば回りまわって自分のためになるという理解のある得な人、つまり徳人が増えると、まあそんなことになるんでしょうか。

(うちに来る黒ネコ黒ベエ、近影)

庭の草がどんどん伸びます

うちの庭の奥のほうは、春先から油断して手を入れないでそのままにしていると、雑草は伸びほうだい、樹の枝は茂りほうだいで、ジャングルのような様相を呈(てい)します。

ジャングルといっても、アンリ・ルソーの描く南方の楽園のようなジャングルならいいですけど、うちの庭にはエキゾチックな神秘の樹々もなければ、幻想的な花々もなく、甘やかに眠りこむ美しい夢の中のヤドヴィガ(ルソーの絵に登場する裸身の美女)もいない、極めて現実的な荒れた庭です。

石段があったり、築山(つきやま)になっていたりで、とてもエンジン付きの草刈機ではだめだと思っていたのですが、最近の雨で草はいよいよ伸びてくるので、「まあ、なんとかなるだろう」の精神で、イラストの仕事が一段落した夕方、長ソデシャツに軍手、ゴーグルつけて、長グツはいて、草刈機をかついで、庭へと出陣となりました。

けっこうキツイところもありましたが、まあやってみると草刈機はなんとか使えました。

道路に面した石垣の内側の庭の半分くらい刈ったら、日が暮れてきたので、今日はここまでということにして家に入り、汗まみれのシャツを洗濯機に放りこみ、シャワーをあびて一息ついて、冷蔵庫から井村屋のアイス「あずきバー」を出して食べました。ペットボトルのお茶「伊右衛門(いえもん)」も飲みました。おいしかったです。

”忠実な羊飼い”

アントニオ・ヴィヴァルディのフルートソナタ、”忠実な羊飼い”を初めて聞いたのは、いつだったのか、はっきり覚えてないのですが、たぶん18か19歳のころでしょう。

当時、私がいたのは大阪府の南河内郡、大阪芸大の近くの学生寮で、まわりは田んぼと畑にかこまれていたわけですが、私がこの曲でなつかしく思い出すのは中世ヨーロッパの牧草地です。

そこにはたくさんの羊が草を食(は)んでいて、私は領主さまから借り受けたその土地で羊を飼い、妻と5人の子どもを養(やしな)っていたんじゃないかな、と…。

上の2人の娘は、よく家事を手伝い、昼になるとチーズとパンと、水で割ったぶどう酒を私のところまで届けに来てくれました。

私はそれを食べながら、娘たちに、この牧草地がまだ森だったころ、そこに棲(す)んでいたという妖精、トラパーニ・フラトゥッツォたちの物語りを話して聞かせてやったものです。

近くの丘の上からは、だれが吹くのか、パーンの笛のような美しく澄(す)んだ音色が、風に乗って聞こえてきます。

それが、ヴィヴァルディのフルートソナタ”忠実な羊飼い”だったというわけで、だから私は当時、大阪の田舎(いなか)の田んぼの中の寮にいたにもかかわらず、そのメロディーを聞いて、私が幸せな羊飼いだったころの中世ヨーロッパの牧草地の情景を、なつかしく思い出したという、まあ適当に思いついた作り話しです。