異星人によるヒーリング?

北米先住民、チェロキーインディアの末裔(まつえい)ロン・ブレヴィンスさんは、18歳で米国陸軍に入隊し、1970年、ベトナム戦争で死の恐怖に直面する体験をし、その後、除隊して警備会社に勤務するも、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症します。

そのため、昼間はなんとか職務をこなすものの、夜になると戦争の体験がフラッシュバックしてきて、恐怖と悪夢のために、ほんの数時間しか眠れないという日々が、15年も続いていたとのことです。

その上、戦地で感染した多色性皮膚真菌症に悩まされ、痛がゆい赤アザが背中、頭部にひろがり、どんな薬でもそれは治まらず、症状は重症化していくばかりだったとのこと。

そんなロンさんに、1989年の夜、奇跡が起こります。

その夜も、仕事を終えて帰宅した真っ暗なアパートの部屋で、絶望的な気分のまま睡眠薬代わりに常習の酒をあおっていたところ、突然、室内に光が出現し、その中に、黒く大きく強烈な印象の目をした爬虫類のような人型生物が立っていたそうです。

その皮膚はうろこにおおわれ、恐ろしげではあったものの、全身からは「荘厳で慈愛に満ちたオーラ」が放たれていたということです。

その存在は、ロンさんにホログラム映像によってベトナム戦争での経験をリアルに追体験させたあと、驚愕(きょうがく)する彼に次のように語ります。

「問題は君が現実をゆがめているということだ。そして現実から必死で逃げているが、君はベトナムで起きた現実を受け入れなければならない。そして、われわれが君を手助けできるよう、われわれの存在という現実も受け入れなければならない」

ロンさんが、「それには、どうすればいいのか?」と問うと、その存在は「人間は触って現実を確かめる。君がわれわれの現実を受け入れたいなら、私の手を触ればいい」と言ったそうです。

ロンさんは意を決して、相手の目を見ないようにしながら、その存在の手を触ります。

その瞬間、まばゆい光が爆発し、すぐに部屋は元の真っ暗闇にもどりました。照明をつけて明るくなった部屋のなかでロンさんは、別人に生まれ変わったように立ちつくしている自分に気づいたということです。

その夜、ベッドに入った彼は、15年ぶりに悪夢を見ずに眠り続け、翌朝目覚めたときには、長年のPTSDは完全に消えていて、あれだけ悩まされ続けた多色性皮膚真菌症も、その日から一週間のうちにきれいに消え去ったとのことです。

この存在というのは、見た目からして、レプティリアンという種族でしょうね。

ロンさんの家系は先祖伝来、精霊信仰をしていて、彼自身も幼いころ、野山で出会った「ケンタウルス座アルファからの訪問者」と、テレパシーで対話していたことを、漠然と記憶しているとのことです。

なんだか、不思議な話しです。

 

ウオーキング中の背後の車

夕方、近くの川の堤防の道をウオーキングしていると、ときどき車とすれちがいます。

対向車が来ると、退避スペースにどちらか一方が止まってないと、相手をかわせないくらいの細い道で、そこを歩いているとき、前からの車はいいとして、後方から来る車は、なかなか気づきづらいです。

ここを走る車はあまりスピードを出してないため、エンジン音も聞こえにくく、しかも、すぐ横に流れる川のせせらぎに消されて、車の気配はさらに分かりにくくなってます。

初めのころは、背後から来る車に気づくのは至難のワザでしたが、最近では慣れてきて、後ろを振りかえることなく、車の接近をその微妙な気配によって察知できるようになりました。

若い人の運転する車はそうでもないんですが、年配の方の場合、私のすぐ後ろにくると、ほとんど止まらんばかりに低スピードになる車が多く、そんなとき、私は振りかえることもなく、歩くスピードも落とさず、道のワキに素早く身をよけてウオーキングを続けます。「私はね、もうさっきから、あなたの車の接近にはちゃんと気がついているんですよ」というアピールです。

すると、徐行していた車はそれに気づいて、私のわきを少しスピードを上げて通りすぎて行きます。

そのとき私は、わずかな気配だけで背後を察知できる達人の気分で、ひとり悦に入り、走り去る車を見送りながら、歩くペースを変えることなくウオーキングを続けていると、まあ、そんなような次第です。

GCRなど

GCRとはGlobal  Currency  Resetで、世界通貨リセットのことらしいですね。

RVというのもあって、これはRevaluation  of  Valuesで、通貨評価替えらしいです。

なんの担保も裏付けもない現在の世界の通貨を評価し直し、さらに通貨発行権を持つ者が有利になっている世界金融システムを根本から変革しようというのが、RVであり、GCRだと。

その国の資産、資源、経済力を考慮して通貨価値を再評価し、その価値基準の裏付けとしては金、銀などの貴金属を充てるという、いわゆる金本位制に世界が戻ると。

そうすると我々は今から貯金をおろして金や銀、買っといたほうがいいんですかね?(まあ、私はそんなに貯金あるわけじゃないですけどね)。日本では2024年に新札が発行されるらしいですけど、それもなにか関係してるんですかね?それとも、そういうのは関係ないんですかね?

ようわからんですね、私には。

そして、変革された世界の金融システムを一元管理するのがQFS(Quantum  Finance  Systemm)つまり量子金融システムだと…。

QFSになると、現在のお金の流れ、国際決済銀行→各国の中央銀行→管理者→個人というのは一新され、量子コンピューターとブロックチェーン技術によって、不透明なお金の流れはなくなり、利息、手数料を取られることもなくなり、それどころか、不正をはたらこうとする者の意図までもが察知され、そのようなことはすべて不可能になると…。

そして、QFSは世界の国々の73%が署名した時点で実行に移される、とかなんとか。ちがいましたっけ?

それはネサラ・ゲサラのほうでしたっけ?

ネサラとはNational  Economic  Security  and  Recovery  Actの略で、つまり国家経済安全保障および改革法。ゲサラとはGlobal  Economic  Security  and  Recovery  Actで、世界経済安全保障および改革法で、そういうのがあるらしいと。

これがQFSとリンクしてるんでしたっけ?ちがいましたかね?

そんでもって、これらが施行されたあかつきには、UBI、つまりユニバーサルベーシックインカムなんてことになって、各個人には国家から月々一定額のお金が支給されるようになり、人はもはや生きていくための労働をする必要がなくなる、なんてね、こういうのはすべてファンタジーかSFの話しか?てことなんですけどね、どうなんでしょう。

 

ゲージュツ

ベートーヴェンの交響曲第九番の4楽章といえば、おなじみの「歓びの歌」ですけど、これはシラーの詩「自由賛歌」を引用したものということで有名ですよね。

このヨハン・クリストフ・フリードリヒ・フォン・シラーという人、ドイツの劇作家、詩人にして思想家ということですけど、私はあんまり詳しくないですね。

太宰治は「シルレル」と呼び、あるいは「シルラー」とも訳されたこの人、ゲーテと並ぶドイツ古典主義の代表者だそうで、優美かつ精緻な詩は、ドイツ詩の手本として、今でもドイツの教科書で教えられているそうですね。

私は、この人のことは第九の合唱の詩の冒頭でしか知らなかったですけど、最近聞いた山田五郎さんの美術解説の中で、シラーの次の言葉が紹介されていて、私は「いいこと言うな~」と感心しましたね。

”君のおこないと芸術によって、すべての人を満足させることはできない。少数者のために芸術をなせ”というものですけどね。ホントそうだな~と思いますよ。結果として多くの人に支持された芸術作品はあるにしても、万人ウケをねらった芸術なんて、おもしろくもなんともないですからね。

いろんな人がいろんな感受性を持ってますし、そのどれにも合うようなものなんて、そんなもの作ろうとすること自体、なんともあざとく、いかがわしいことですからね。

まあ、芸術作品なんてものは、人それぞれ独自のものでしょうし、最初から万人ウケをねらったものなんて、意図が見えすいていて、はしたないですよね。

自分の、自分による、自分のための芸術というのが、芸術作品の要諦であるとするなら、「人民の、人民による、人民のための政治」というリンカーンの言葉と対局にあるという意味で、芸術は政治から一番遠いところにあるものだろうな~なんてことを、私は思いますね。

ふたたび、三ツ星稲荷神社でのこと

先日、ブログに、近くにある三ツ星稲荷神社の湧き水のことを書きましたけど、あの数日後また、車に空(から)のペットボトル積んで、水をくみに行きました。

前回そこに、軽トラで来ていた外国人の人がいたと書きましたが、この日、私が水くんでいると、背後でなにか物音がしたなと思っていると、「コンニチワ」と声がして、ふり向くと、あのときと同じ外国人の男性が、水くみ用の容器をカゴに入れて立ってました。

まさか今日も会うとは思っていなかったので、ふいを突かれた感じで、ちょっと慌てて、とりあえず私も「こんにちわ」とあいさつを返しました。

「ここの水、冷たくておいしいですよね」とかなんとか、気の利いた言葉を言おうと考えていると、その男性の後ろに3歳くらいのブロンドの髪の女の子と、さらに小さな女の子が手をつないで立っていて、そんなこと想定外だった私は、この外国人男性の子どもであろう2人の小さな女の子に、とっさになんと声をかけたらいいか、頭の中がぐるぐる回転して、結局「コンニチワ」と、まったく気のきかない定番のあいさつの言葉をかけただけでした。

親子は水くみを始め、私は満タンのペットボトルをかかえて車にもどりましたが、私としては、本当はあの女の子たちと、ちょっとした気のきいた短かい会話をすればよかったのに、なんだか慌ててしまい、ぎこちない「コンニチワ」の言葉しか口にできなかったことに、釈然としない思いで車のエンジンをかけたような次第でした。

「こういう、ここ一番というときの対応力の甘さが、自分にはあるんだよな~。あの子たち、私のことぶっきらぼうなおじさんだ、と思っただろうな~」なんて思い、あの場合、とっさにどんなことを言えばよかったかを車を運転しながら考えてみましたが、日本語がどこまで通じるかもわからない、ブロンドの小さな女の子2人にかけるべき、気のきいた言葉なんて、結局なにも思い浮かびませんでした。

昭和のハワイアン

今年の夏も、そろそろ終わりますね。まだ暑くて、外ではセミが鳴いていますけど、夏が終わって秋が始まるという、今はまさに、そんな時節になってきましたね。

さっき、ユーチューブのおすすめ動画に「昭和のハワイアンBGM①  ブルーハワイ~」というのが上がってきて、聴いていると、まさに昭和のハワイアンソング・メドレーがのんびりと流れてきました。

スライドギターの甘い音を聴いていると、子どものころ、夏のスーパーの店内なんかに、こんな曲かかってたな~なんて、その情景が思い浮かんできて、しばし遠い昔の夏休み気分へと、マインドトリップしましたね。

でも、今頃の季節、夏空にあった入道雲が、うろこ雲やひつじ雲といった秋の雲にかわっている、そんな夏の終わりに、こんなハワイアンを聴いていると、「あ~あ。夏も終わるな~」なんていう感慨に満ちてきて、音楽というものは、それを聴く季節によっても、それぞれに違ったイメージを呼び起こすもんだな~と、ちょっと夏休みの終わりをむかえた子どものような、そんな気分になったものでしたね。

神社の湧き水

うちの前を流れる川に沿って土手の道をずーと進んで行くと、15分くらい歩いたところで山に突き当たり、そこに鳥居があって、山の登り口から参道になっていて、その先には明見(みょうけん)三つ星稲荷神社という小さな社(やしろ)があります。

登り口のところには湧き水が出ていて、手水舎(ちょうずしゃ)が作ってあります。

私はときどき、車に空(から)のペットボトル(2リットル)を4~5本積んでそこに行き、水をいただいてきます。

真夏でも水は冷たく、ペットボトルは水を満たしてしばらくすると、表面に細かく水滴がつくほどです。

うちではそれをポットに入れて沸かし、お茶やコーヒーをいれたり、酵素玄米を炊くのに使ったりしています。

この前、早朝に水をくみに行くと、軽トラが止まっていて、外人の男性が水をくみに来てました。荷台に大きな貯水タンクが積んであったので、なにか業務用にでも使うのかなと思いました。

すれ違っただけなので、どこから来たのかわかりませんでしたが、今度会ったら声をかけてみようかと思っています。

家の近くに清涼な湧き水が出る場所があるなんて、日本は本当に水に恵まれた国だなあ、と思います。

フロリダ州知事 デサンティス氏

1978年、米国フロリダ生まれのイタリア系アメリカ人、ロン・デサンティス氏は、現在フロリダ州知事として、バイデン政権と戦っていて、かっこいいです。

2021年の8月にバイデンはフロリダ州のパンデミック対策を批判しましたが、それに対するデサンティス知事のコメントは以下のようなものでした。

「バイデンのあげるコロナ対策とはどんなものでしょう?バイデンの解決策によれば、幼稚園児にマスク着用を強制しようとしていて『それは連邦政府が決定することだ』としていますが、ここフロリダ州では、子どものことはその親が決定権を持つのです。また、バイデン政権の医療専門家は『子どもと一緒にいるときは、家でもマスクをするように』と親に言いましたが、こんなの狂っている。      バイデンは『ワクチン接種を政府の強制力で義務化すべきで、社会に参加するにはワクチン接種証明の提示が必要』と言っているが、私たちは以前から『だれでも接種できるようにするが、強制することはない』と言い続けています。バイデンのビジョンはニューヨーク市の言ってることと同じです。レストランはワクチン接種の対象外である幼児の入店を禁止し、市民はジムに行ったりイベントに参加するには健康履歴証明の提示を義務づけられている。今、私たちに突き付けられているのは、”自由な社会を実現するか、それとも生物医学的管理社会を受け入れるか”という問題です。                               フロリダは自由を守る州です。フロリダの市民は自分自身のこと、家族の事、子どもの教育、食卓に並べる食物について、自由な選択をするのです。        ジョー・バイデンは『ロックダウン政策に従わない者は排除する』ことを提案しています。                                  ジョー・バイデンに告ぐ。もしフロリダの親たちの権利を奪おうとするなら、私があなたの前に立ちはだかる。私はあなたを逃がすつもりはない。         他人と触れあう教育の場を、子どもたちから奪おうとするなら、私があなたの前に立ちはだかる。そして、フロリダの子どもたちのために戦う。          人々を拘束し、強制し、仕事や生活、零細企業を破壊し、ロックダウンを行なおうとするならば、私があなたの前に立ちはだかり、フロリダの人々のために戦う」と。

素晴らしいですね。この州知事、デサンティスこそ、アメリカの自由と正義の守り手です。どこかの国の都知事にも、この人のツメのあかでも煎じて飲ませてやりたいものだと、私は思いますね。

(YouTube Harano Times Official Channel 「バイデンよ、聞け!フロリダ州知事、デサンティスはどんな人?」より)