”鳩に餌を”

うちの家の庭にある老木は最近剪定(せんてい)してないので、枝が伸びほうだいです。

ヨコに伸びた枝は切ったのですが、上のほうのは登って切らなくちゃならないので、高いところ苦手な私としては手がつけられないままです。

だいたい私はきっちり剪定された和風な庭木というのが苦手で、イギリスの画家コンスタブルなんかが描くような、のびのびと空に広がった樹のほうが好きなので、庭師にお願いして盆栽っぽく枝を整えてもらうのも乗り気じゃないんですね。だから上に伸びる枝は放ったらかしとこうかな、なんて思いますけどね。

こんなとき、メリーポピンズみたいに傘(かさ)さして空に浮き上がる魔法が使えればな、と思いますね。

そうなると剪定バサミ片手に、樹の上を浮遊しながら枝を切るわけですから楽なもんです。でも、そんなとこ人に見られるといろいろやっかいなので、やるんなら深夜ですね。

深夜、満月の明かりをたよりに空飛ぶ庭師になる、なんてのはメールヘンチックでいいですよね。

話は飛びますが、ミュージカル映画”メリーポピンズ”の中の曲、”鳩に餌を”で、ジューリー・アンドリュースは「タプン タプン タプン ザ バッグ」て歌ってて、私は「タプンってなんだ?」と思ってましたが、”two  pence (2ペンス)”のことで、つまり「2ペンスでこの袋の餌を買って、鳩にあげて」と歌ってたんですね。心にしみるいい曲です。

(”メリーポピンズ”のLP持ってます)

 

天国ことば

ことばというのは、あなどれませんね。言霊(ことだま)というくらいで、その響きには霊がこもっていて、まわりの空間に広がり、宇宙に広がり、やがてそれはこだまのように自分に返ってくることになりますからね。

名前は忘れましたけど昔、女性のポップグループが、曲の中で「アーメン」ということばを使っていて、自分をふった男が別の女性と結婚式をあげてる教会で、くやしまぎれにその2人に向けた捨てゼリフとして、「くたばっちまえ」の後に、聖なることば「アーメン」を続けるという歌でしたけど、いくら歌詞だといったって、聖なることばをそのようなかたちで使えば、それなりに影響があらわれることになりますからね。今、思うとありゃあまずいでしょうね。

まあ、聖なることばでなくても、日々使うことばも気をつけないと、私なんかマイナーな気分のときは「こんちくしょう」とか「クソッ」とか、地獄ことばになりがちなので、そういうときは無理やりでも(天国ことば)を使うようにして、なんとかこのろくでもない(すばらしい)人生を、つまずきながら(導かれるままに)、かろうじて(豊かさに満ちて)、悪戦苦闘しながら(すべて良くなるという思いと共に)生きていこうと思いますね。

(「天国ことば」というのは、12年間納税日本一の記録を持つ実業家にして霊能者、斎藤一人さんの本に出てた言葉です)

サーカスの少女

小学校3~4年のころだったと思うんですけど、学校の帰り道にある駄菓子屋の入り口横に、駅近くの映画館でやっている映画のポスターが貼ってあって、私はそれがすごく欲しかったんですね。ディズニーの映画じゃなかったかなと思うんですが、正確にはわかりません。

実写もので、サーカスに入ってる少女が自分の後から入団してきた男の子に、玉乗りだか乗馬だかよくおぼえてないんですが、そんなことを教えるというような内容で、この少女が本当に可憐(かれん)で、子どもの私はひと目ぼれしてしまい、その子の写っている映画のポスターが、なんとしても欲しくなってしまったんですね。

でも、駄菓子屋のおばさんに、「外に貼ってあるポスターください」なんて、私にはとても言えそうになく、でも、そのとてつもなく大胆でむこう見ずな行動を起こさないかぎり、少女の姿を手中にすることは永遠にできなくなるわけで…。

私は何日もためらい、迷ったあげく、今日こそはと度胸一番、清水(きよみず)の舞台から飛びおりる覚悟で、おばさんとの交渉にのぞもうと強く決意して店の前まで来ると、なんと、そのポスターはなくなっていて、別の映画のポスターが貼られていました。

茫然として「…サーカスの映画のポスターは?」とたずねると、おばさんは「あの映画、終わったんで捨てたよ」と平然と告げるのでした。あれが、私が人生で初めて心底(しんそこ)ガックリきた瞬間でしたね。

あの映画は一体なんというタイトルの映画だったのか、最近パソコンでいろいろ調べてみましたが、結局わかりませんでしたね。

          (ロイ・スチュワートの写真よりコラージュ)

カール・ラーソン

水彩画を仕事で描くときなんか、私は「いいかんじだな~」と思っている昔の巨匠の画集を見て、なんならそれを仕事机の上に置いといて作業にとりかかる、なんてことを時々やりますね。

「いい絵にするぞ~!」なんて気持ちばかり先走りして、絵にとりかかる前は少し不安もあって、水彩の場合、ほんのちょっとした絵具のにじみが画面全体の雰囲気を左右することになったりするので、絵の出来、不出来は筆のコントロールを超えたところも少しあり、描き初めにあたって、なにか気分を高揚させるものがほしいと感じたりして、そんなとき、自分が描く内容とはまったく関係なくても「よく描けてる」水彩画の資料が横にあると、なんとなく気分がはげまされるということがありますね。

でもそれは、あんまり個性的だったりするとダメなので、ギュスタフ・モローなんてのはダメで、アルブレヒト・デューラーみたいに厳格なのもダメで、ちょうどいいのは、カールラーソンなんかの水彩画などがそうですね。

ラーソンの絵は驚くべき絵画というわけではありませんが、素朴で、デッサン力があり、私にとって、仕事机の上に置いておくのにちょうどいい画集です。

(カール・ラーソン画集より)

祓(はら)う

イラストの資料だの、打ち合わせのメモだの、下描きの紙だの、気にしないでそのままにしていると、でもそれが集積してとんでもないことになっていて、ダンボール2~3箱どころではなく、気がつくと山のように貯まってしまってました。

1枚の紙なんて、どーということもないだろう、と思って油断していると、まあ4~5枚くらいならまだしも、これが10枚、20枚となると、ちょっと厚みがでてきて、30枚~50枚となると破ろうと思っても、もう簡単にはいかなくなっていて、300枚~500枚なんて、握力自慢の空手家だって破ることは不可能でしょう。

そんなのが袋に入ったり、ファイルされてたりして、山のようになると、これはもうダメですね。1~2枚の積み重ねを甘くみた結果です。

MRT良法の内海先生がおっしゃっていましたが、この紙と同じく、日々のマイナスな思いも、気にもとめず貯めていくと業(ごう)とし蓄積され、どうにもならない事情や身情となってあらわれてくる、ということらしく、そうしないためにも悪感情やよどんだ意識は、日々祓(はら)っていかないといけない、というのは本当だと思いましたね。

私の場合、自主トレするとか、よい音楽を聴くとか、どうということのない脳天気なことを妄想する、なんてのが日々の祓いになると思ってますけどね。

Trilogy

久々にレイチェル・フラワーズの演奏する”トリロジー”を聴きましたが、やはり驚きですね。まあ、この曲自体が奇跡のようなもので、私はこれを高校生のときに聴いて以来、その驚きは今でも継続中です。

ベアード・T・スポールディングという人の著書に”ヒマラヤ聖者の生活探求”という書籍がありますが、それは彼が調査団11人とともにおもむいたヒマラヤ山中で聖者と出会い、神秘で崇高な教えに導かれるという124年も前の実録譚ですが、私にとって”トリロジー”は、ヒマラヤ聖者が眼前に出現したよりも驚きに満ちた体験であったと言えます。

だから私は、もうたいがいのことには驚かないですね。まあ、音楽ですから、それは聴く人それぞれで、受け取りかたはいろいろですが、それでも私としては当時このような奇跡的な作品に接して、人がよく平静を保っていられるものだと思ったものでした。

レイチェル・フラワーズはあきらかにこの驚異を感じ取ってます。あっぱれです。私が高校生のころ、彼女のようにキーボードが弾けたら、同じように演奏したことでしょう。

彼女は”トリロジー”の作曲者、キース・エマーソンと同じ彼方(かなた)なる次元に同調していますね。そしてキース・エマーソンは亡くなりましたが、レイチェルの演奏を聴いていると、あの奇跡が今も継続していることがわかります。

だから、私はこの地球が気に入っています。美しい奇跡が時折ほんとうに出現する、途轍(とてつ)もないことの起こる惑星だということでね。

Trilogy LPレコードジャケット

最近の黒ベエ

うちの庭に来る半ノラの黒ネコ”黒ベエ”は、最近では日に2回はメシを催促するようになりました。

廊下の外で「ニャー」と声がするので、ガラスのサッシを開けると、両足をそろえた状態で行儀よくしていて、私は買っておいたキャラットミックス”まぐろ仕立ての味わいブレンド”をお皿に入れてやります。

うまそうにぼりぼり食べてますが、時折ふいに顔を上げ、あたりを見まわして警戒するところなどは、さすが半ノラ、根っからの飼いネコと違い、食事中でも一定の緊張感を絶やしません。

メシが足りないと、からっぽの皿のそばを離れず、目が合うと「ニャー、ニャー」と鳴いて追加を催促します。

「しょうがねーな~」ということで、キャラットミックスをもう少しお皿に入れてやると、またボリボリ食べ始め、満腹になると、付き合い程度にその場で腹ばいになっていたかと思うと、すぐにどこかに行ってしまいます。

黒ベエは私のことをメシ係の人間というふうに考えているに違いありません。

プラス思考

この前、聴いた斎藤一人さんという人の講演(ユーチューブ)で、松下電器の創業者、松下幸之助さんが、「成功した要因はなんですか?」とたずねられ、「家が貧乏だったこと、学歴がなかったこと、病気だったこと」と答えたという話しをされてました。

普通ならマイナスの要素ですけど、松下幸之助はそれをプラスの要因と決めつけたってことでしょうね。成功する人というのは、まあプラス思考ですね。

”不思議の国のアリス”書いたルイス・キャロルは、プラス思考ってわけじゃないんでしょうけど、あの人は最近では”アリス症候群”とかいう精神疾患があったんじゃないかって、以前テレビで特集してたのを見たことがあります。

突然まわりの情景が巨大化したり、時間の流れが変わったように感じられたり、まるで”不思議の国のアリス”の場面のようなことを実際に体験してしまう症状らしいんですけど、これがルイス・キャロルをして”不思議の国~”を書かせる要因になったんじゃないかってことらしいですけどね。

そうすると、その症状があったからこそ、あの突拍子もない名作は生まれたというわけで、これもルイス・キャロルが症状をいい方向に使ったという一種のプラス思考といいますか、ものごとすべて肯定的な方向で行けば、すごい傑作も生まれるといういい例でしょうね。

私なんかすぐマイナーな気分になりがちなので、斎藤一人さんなんかの話しで時々プラス思考にシフトチェンジしないと、ホント沈没してしまいますね。

堤防の草刈り

昨日は朝8時から、地域の人たちと川沿いの堤防の草刈りをしました。

堤防の上は桜並木の遊歩道になっていて、そこも春になると草ボーボーになっていて、近所の人と草刈り機を使って雑草を刈っていきました。

神奈川県川崎市でイラストレーターやってたころは、月刊”家の光”や、NHK出版の”やさいの時間”なんかに草刈り機使っているイラストを描きましたが、「農家の人はこんなマシンを使ってるんだ~」なんてぼんやり思っていて、実際に手にしたことはなかったのですが、こちらに来てからは、草刈り機はもう必需品ですね。

新品の刃に替えたばっかりだと、本当に気持ちよく草が刈れて、それまで生い茂っていた草がきれいさっぱり刈り倒され、広々とした道がはるか先まで伸びているのなんか見てると、気分爽快、立ち昇る草いきれといいますか、刈り取られた葉っぱや茎からの草っぽいかおりを呼吸して、「今日もひとつ、やったろうかいな」なんて気分で家路につくという、充実した日曜の午前でしたね。

地底怪獣バラゴン

むかし、川崎市の高津区に住んでいたとき、ある日、近所に小さなフィギアショップがオープンして、中をのぞいてみると、その店オリジナルのなかなかよくできた怪獣の模型が飾ってありました。

私は小学生のころ怪獣ひとすじ、三度のメシより怪獣が好き!という子どもだったので、その先のコンビニで卵と牛乳買ってくるように妻に言われていたのに、思わずその店に入って、陳列されている怪獣群をウットリと眺めました。

ゴジラやキングギドラ、阿蘇山の火口から誕生したラドンなど、見れば見るほど実によくできていて、これを作った人は、その制作にただならぬ情熱を注いだに違いない、と確信できる逸品ばかりでした。

そんな中に、私は地底怪獣バラゴンがあるのを発見し、思わず「おお!」と声を出しました。

バラゴンはゴジラやキングギドラほどメジャーな存在ではありませんが、地底に穴を掘って進み、手あたり次第人間を食ってしまうという悪いやつで、しかし、そのフォルムとつらがまえが、私は一番好きで、よくぞここの店主はバラゴンをフィギアに加えてくれたものだと、そのこころいきに感じ入り、買ってこなければいけない卵と牛乳のこともすっかり忘れ、私は「地底怪獣バラゴン組み立てキット」を購入して、いそいそと家路についたのでした。