鼻タレ小僧

岡山県出身の彫刻家の平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)という人、この人は「60、70(歳)は鼻タレ小僧、男ざかりは百から」と言ったそうですね。

「ほ~」てかんじですね。

「50.60は鼻タレ小僧」というのは聞いたことあったですけど、そうかあ、60、70も鼻タレかあ~。

田中(でんちゅう)さんに言わせると、私なんかまだまだ鼻タレということで、そう言われると気が楽ですね。

心の中では、ああいうふうにもしなきゃあな、とか、こういうふうにもならなきゃあな、とか、いろいろ考えるんですけど、全然そうはなってないということで、でも「そうは言っても、けっこう歳とったな~」なんて思っていて、そこに「まだまだ鼻タレだ」と言ってくれる人がいると、「そういうことなら、自分だってこれからだな~」なんてね。気も楽になろうというものです。

まあ、田中さんのように、百まで生きるかどうかは、また別の話しですけどね。

(田中さんは107歳までご存命だったようです)

佰食屋

これからの時代は、経済が永遠に成長を続けるというモデルは通用しない世の中になって行くんだろうな~、てなことをボンヤリ思っていると、この前、ラジオで「佰食(ひゃくしょく)屋」という食堂を紹介してて、これなんか、これからの商売のモデルのひとつかもな~、なんて思いましたね。

「佰食屋」は1日に百食限定、京都にあるステーキ丼専門店で、開店は午前11時。昼前にはその日の分の整理券が売り切れて、午後6時には従業員全員が帰宅して、家族と過ごす時間が持てるということらしいです。

この店の経営をする中村さんという女性によれば、「経営というよりは、仲間をささえるという発想」ということで、従業員の採用のポイントは「仲間とうまくやっていけるか」という点だけとのこと。

そのため、母子家庭の女性、親の介護をしてる人、70歳を超えた人などが仕事していて、このスタッフがきちんと暮らせる収入を得られるようなシステムになっているとのことです。

食材は地元のものを使うというのが決まり。こんなのが全国に広がれば、働き方も変わって、経済システムが変わっていくきっかけになるかもな~なんて思いました。

中村さんは、「今、企業で内部留保してるのは、経営者に勇気がないから」と言っていて、自分のまわりの幸福を思ってシステムを作れば、会社は立ち行くということを体現してる、すごい経営者だなと思いましたね。

(日本経済新聞にも記事が出てました)

CUP OF WONDER

イギリスのロックグループの古参、ジェスロ・タルの曲、”CUP  OF  WONDER ”(カップ一杯の不思議)。古代ケルトの祝祭日 ”ベルティン  ”をたたえる曲、五月祭の歌です。

まあ、9月に聴いたって一向にかまわないわけです。

冒頭でイアン・アンダーソンのフルートが独特のケルトの気分を盛り上げます。

ジェスロ・タルは、いつ聴いても本当に良きイギリスのメロディーを奏でてくれます。

歌詞は、そこここで英語の韻(いん)をふんでますが、日本語に翻訳されると、雰囲気がぼやけてしまいます。(といっても、私は英語わかるわけではないんですけどね)そのまま聴いて歌詞に入っていける欧米人がうらやましいです。

でもまあ、日本語訳とか、そんなのは本当はどうでもいいんです。詩の意味がわからなくたって、その詩情はちゃんと伝わってきますから。

それが音楽のいいところです。

洋楽は昔からそういうふうにして聴いてきました。好きな曲でも、いまだに歌詞の内容がよくわからない曲は、いっぱいあります。

今はネットで調べれば、だいたいの曲は和訳が出てきますけど、調べないで聴いてるものも多いです。

歌詞は詩の意味じゃなくて、音の響きとして聴いてるってことですね。詩の内容によっては、むしろ意味を知らないままのほうがよかった、なんてのもたまにありますね。

ジェスロ・タルの歌詞は、その詩も素晴らしいですけどね。

(CUP  OF  WONDER収録のLP&CD)

 

捜してる本

「あの本、どこにあったかな~」なんて、部屋の中を捜し始めると、だいたい「あそこらへんの、積み重ねてる山のあたりにあるんじゃないかな」なんてボンヤリ思い浮かべて、そこを捜してみると、まあ見つかることもありますが、でも、ぜんぜん違う場所、違う本の山の中から見つかることもあって、本捜しは大変です。

すごく気に入ってる本や、イラストの仕事に使う資料の本なんかは、本棚に入れてるので、すぐ見つかりますけど、そこに収まりきらなくなったものや、いろいろの本が部屋のあっちこっちに山になっていて、どの山にどの本があるかなんて、とてもじゃないけど覚えてられないんですけど、それでもなんとなく、「あの本、あのへんにある気がするな~」という体感というんですかね、直感といいますか、予感といいますか、そういう第六感みたいな感覚を感じることはありますね。

でも、それでアタリをつけて捜してみても、やっぱりぜんぜん見つからない場合もあって、そうなると、もうその本がどこにあるのかなんて、まるで見当もつきません。

本は、はたして本当にこの部屋の中にあるのか、あるいは段ボールに詰めた本のなかにまぎれて別の部屋にあるのか、はたまた何かの事情でワープして、別の時空に行ってしまったのか…、そうなると私としては、もう手の尽くしようもありません。

アイアンマン

テレビ見てたら、デアゴスティーニのCMで ” アイアンマン”の組み立てフィギュアの宣伝やってましたね。

” アイアンマン”は、アメリカンコミックの実写版に登場するパワースーツですね。

巨大軍事産業の若き社長、トニー・スタークが自ら開発したアイアンマンを装着して、大活躍するSFアクション映画。実によく出来てます。

この映画のエンディングテーマには、ブラックサバスの曲 ”アイアンマン ”がフルで使われていて、これを作った監督さんは、この曲、大好きなんだろうな、と思われますね。

私より10歳くらい若い人なので、ブラックサバスのこの曲をリアルタイムで聴いてたんじゃないでしょうけどね。なんせ、私が”アイアンマン ”聴いたのは中学生くらいの時だったと思いますからね。

”アイアンマン”は、たしかブラックサバスの日本でのシングルレコード”パラノイド”のB面だったと思います。

バスドラムの単調な音に続いて、イコライザーで変成された声が「I  am  iron  man」と流れて、それに続いて硬質でハードなロックのリズムが刻まれていくという曲ですけど、後半、ブラックサバス特有のドラマチックな展開があって、じつにいい曲です。

これぞハードロックってかんじです。

そして、この曲が映画 ”アイアンマン”のエンディングテーマとして、よくマッチしてるんですよね。うまいこと作ってあるな~て思いましたね。(YouTube IRON  MAN  TRIBUTE  :  Black  Sabbath )

(”アイアンマン”収録アルバムDC)

ザルソバ

先日の午後、ちょっとソバが食いたいな、なんて思って、「軽く食っちゃうか、ザルソバ」てことで、冷蔵庫見ると、ネギはあるんですけど、オオバ(青じそですね)がないんですね。

スーパーまで買いに行くのは面倒だし、まあ、薬味はネギとスリゴマだけでいいかなんて思っていると、そういえば以前、門の横の植え込みの手前を草刈りしてたとき、勝手に生えてた青じそがあって、刈らないように注意して残しておいたな…というのを思い出し、見に行くと、生えてましたね、青じそが。

暑い日が続いたので、少々しおれてましたけど、まあ使えそうでした。

葉を2~3枚もらって、そのかわりと言っちゃあなんですけど、ジョウロで水やっときました。

本当は、薬味にミョウガも入れたかったんですけど、うちの庭に自生してるミョウガは、時期が過ぎてしまっていて、青々とした葉が茂ってるだけになってたので、だめでしたね。

まあ、青じそとネギ、スリゴマでも充分でしたけどね、ザルソバ。うまかったです。(海苔が入ってないので、正確にはモリソバですけどね)。

中毒性書籍

ガルシア・マルケスという作家の” 百年の孤独 ”というのは、20年前くらいですかね、読みましたけど、めくるめくような奇妙なストーリーが展開して行きますけど、私にとっては、まあ、精神の許容範囲内でしたね。

ところが、ジャンル的には、それとは別ものですが、カルロス・カスタネダの著作、” ドンファンの教え”シリーズは、ちょっと許容の範囲を超えてしまってる内容でしたね。

著者が、ヤキ・インディアンのマスター、ドン・ファンと出会って、幻覚性のキノコ、ペヨーテによって精神の深みへと導かれ、やがて、この次元とは別に存在する神秘の次元へと覚醒して行くというストーリーですけど、ドキュメントのような、創作のような、その判然としないところとあいまって、自分のいる現実への認識が、足元から不確かなものにとなって行くような、そんな異様な読み物でしたね。

第1巻「呪術師と私」から始まり、「呪術の体験」~「呪術の彼方へ」、「意識への回帰」と進んでいくうちに、その非日常的な意識の世界は、いよいよ常軌を逸したものとなり、かと言ってただ奇妙というだけでなく、創作された幻想譚にはない異様なリアリティーがあって、読んでいると、なんだかメスカリンでも投与されたんじゃないかというような、奇妙な感覚にとらわれて、頭がクラクラしたものでしたね。

今でも、本棚には全巻そろってますけど、薬物ならぬ読み物でラリるということで言えば、これほど最適な本は他にないでしょうね。