遠い未来、地球では8歳になるすべての子どもが”読書の日”と呼ばれる9月のある日、コンピューターによって脳に文字の読み方を入力されるようになっていました。
次に18歳になると”教育の日”がやってきて、ここでもまたコンピューターによって職業の適性が審査され、すべての若者は最も適した職業にとふり分けられ、その職業に必要な知識を脳に入力されることになります。
本を読み学ぶという旧式な学習は、ずいぶん以前に忘れられたこの未来世界で、しかし、主人公のジョージ・プラトンは本を読むこと、自ら学習することに興味を抱き、密(ひそ)かに読書による学習をかさね、そのためにあらゆる職業に不適格である者と判定され、”精神薄弱者ハウス”に入れられてしまいます。
彼はある日、決意してハウスを抜け出し、収監(しゅうかん)される危険をおかしながら、自らの主張を述べるために惑星政府との交渉にのぞみます。
閣下と呼ばれる政府高官とテレビ電話で話すチャンスをあたえられ、ジョージは、機械によって知識をインプットされることよりも、自ら学習することによって学んでいくことのほうが、既存(きぞん)の知識に新しい知識を加えられるし、そのことは知識をインプットする機械自体を新たに創造してゆくことのできる最高の手段だと、高官に訴えるのですが、結局それは聞き入れられず、ついに警察に拘束されてしまいます。
そして元の”精神薄弱者ハウス”につれもどされたジョージはそこで、ハウスの本当の名称は”高度教育研究所”であることを知らされます。
そこは高度な能力を秘めた少数の者のみがつれてこられる場所であったのです。ここにつれてこられた者が、世界の進歩をになう真の能力者であるかどうかを確認する手段として、収監者自らが「自分は精神薄弱者なんかじゃない。自分には真の創造性がある」と声をあげ、そのハウスから抜け出す選択をするということが、最後のテストとなるのでした。
世界は自ら創造性を宣言した、そのような少数の創造的な者たちによって、教育システム自体を進歩させ、社会全体を運営する仕組みとなっていたというわけです。
自分の価値を信じ、行動する者こそが、真の創造者たり得るということを、SF小説として描いてみせた、アイザック・アシモフの傑作が「プロフェッション」です。(早川書房刊 「停滞空間」に収録)