古神道の先生

以前、ある古神道の先生に教えていただいたことのひとつに、左の理と右の理というのがあります。その内容は多岐(たき)にわたるのですが、簡単に言うなら「人の身体の左は男性に関係する側で、右は女性に関係する側」ということで、たとえば自分の身体の左側や右側にケガや症状、特別な反応が出たとき、その理を判断して、何が起こっているか、どういう意味があるかを知るという術ごとです。

そう言われてみると、私が20代後半のころ、夜、寝入りばなに変な夢を見て飛び起きたことがあり、それは自分の右の親指が、そのつけ根からスポっと取れてしまうという夢で、非常にリアルなものでした。

ただ、痛みはなく、指が取れてしまったというのに、あまり恐怖感はありませんでした。「リアルな夢だったな」とベッドの上でボンヤリしていると、部屋の電話が鳴って「おばあちゃんが今、亡くなったので、すぐに帰って来て」と、実家の母親から連絡がありました。

右は女性の意味で、親指は自身の親やその親(おばあちゃん)の意味ということで、ピタリと当てはまります。

この他にもある日、特に変わった動きをしたワケでもないのに、左のヒザが突然ガクっとなり、ほぼ歩けない状態になったとき、やはり男の身内に重大な事件が発生したと、その直後に連絡を受けました。左は男に関係し、ヒザが痛んで立ち行けなくなったのは、まさにその身内の事情にぴピタリと当てはまりました。

偶然と言ってしまえばそれまでですが、その古神道の先生は、その術ごとによって、人の窮地を実際に何度も救っておられるのを知っているので、私はそれを偶然として片づけてしまう気持ちはありません。

先生のお話しでは、その術ごとは身体だけにとどまらず、まわりで起こるすべてのできごと、気象、鳥の声、動物、森羅万象(しんらばんしょう)から読みとくことができるそうです。

img856(「カノン」水彩画です)

魂の体外旅行

ロバート・A・モンロー著「魂の体外旅行」(日本教文社刊)は、モンローが実際に体験した体外離脱の記録です。

このひとは米国人で1915年生まれ、放送業界で成功していた43歳の時に体外離脱体験が始まり、やがてモンロー応用科学研究所を設立し、ヘッドホーンで右耳と左耳にそれぞれ周波数の異なる音を聞かせ、その差で脳内に発生する信号によって、人の意識をさまざまな状態へと導き、体外離脱体験や、人間が肉体の死を超えて生きる存在であることを体験させるヘミシンク(脳半球同調)という手法を開発しました。

モンローは自らの体脱体験の中で、インスペックス(聡明な生命体の略語)という存在に導かれ、過去、未来、別次元の宇宙を旅して、自らの魂の出自(しゅつじ)を発見していき、それはSF小説がかすんでしまうほどの、めくるめく体験記なのですが、その記録の終盤に、「大集合」と名付けられた章があります。

それはモンローが体脱して訪れた近未来の地球周辺の宇宙空間に無数の宇宙船が滞空していて、まるで特別な番組の放送を待ちわびるように期待感をつのらせて地球に注目しているというものです。

一体なにが起ころうとしているのか?というモンローの問いかけに、彼を導くインスペックスは次のように答えます。「今始まろうとしていることは、極めてまれなできごとです。異なるいくつかのエネルギー場が、あなたがたの時空間で合流するのです。…これは地球では87億年に一回起こるか起こらないかのできごとなのです。無数の宇宙船が大集合しているのは、地球に生まれるかもしれない新しいエネルギーを観察するためでもあるのです」と。

モンローの見たこのビジョンは、これから地球に起ころうとしている”何か”なんでしょうかね?

以前、私も体外離脱して、インスペックスに会っていろいろ聞いてみたいと思って、瞑想や呼吸法を試してみたことがありますが、途中で寝てしまって、気がついたら朝だったということのくり返しでしたね。

どうやら私の身体(魂?)は体外離脱は得意じゃないみたいです。

img859(「光の種をまく精霊」 油絵です)

フランツ・カフカのこと

フランツ・カフカの小説といえば「変身」が有名ですが、「変身」はカフカの入門編だと私は思います。

青年ザムザがある朝、ベッドで目覚めると巨大な虫になっていた、という「変身」のストーリーは奇抜なので注目されやすいですが、カフカの真髄は、なんと言っても「不安三部作」と呼ばれる長編、「城」、「審判」、「アメリカ」です。

世界中のどんな幻想文学も、この三部作の前ではかすんで見えるほど、これらの小説は私にとって幻想的で奇妙で、しかも表面的には一見、幻想的には思えないというところが、より奇妙に感じられる小説です。

その中で主人公は、いつもリアルで重苦しい現実の中にまき込まれて行くのですが、あまりの重苦しさに目覚めてしまう夢のような、なんとも言えない切迫したリアリティーがあって、私はいつも読むたびに寝込んでしまいそうな気分になってしまいます。

カフカは長編のほかにも小さな作品をたくさん残していて、私はその中のひとつに出てくる”オドラデック”というのが気に入ってます。オドラデックはひらべったく星形をした糸巻きのような形で、その星の中央に横棒が出ていて、それと直角にもう一本棒があり…という奇妙な形で、しかもそれは生きていて、オドラデックに「君はどこに住んでいるの?」と聞くと、「決まっていません」と言って、肺のない人間にしか出せないような笑い方で笑うという、ふしぎな存在です。

私は以前、そんなオドラデック的存在を、画面の片すみに描き込んだ油絵を制作したことがあります。

img846(「オドラデック」 油絵です)

 

 

プレーリードッグのチョコ

二子玉川の高島屋の屋上に、まだ遊園地があったころ、そのわきにペットショップがあって、そこでプレーリードッグを買いました。

入り口の自動ドアを入ると、正面のケージの中に、二本足で立ちあがり、金網につかまってこちらを見ているリスみたいなカピバラみたいな動物がいて、それがプレーリードッグのチョコでした。もちろんそのときはまだ名前はついていませんでしたが、家の者が「チョコ」がいいということで、そう名付けました。

買って来て最初の3日間くらいは、ケージの中でボールのように丸くなって、ピクリとも動きませんでしたが、ある時から急にエサを食べてなつきました。しばらくすると、「チョコ!」と呼ぶと、後ろ足で立ち上がり「キィー」とさけんでそり返り返事をするようになりました。

臆病(おくびょう)な性格で、ケージから出してやっても、ちょっと物音がすると、あわててケージの中に逃げこみました。あまり利口(りこう)者ではありませんでしたが、いいやつでした。10年近く飼っていたと思います。

ある年のクリスマスイブに、知人の家でクリスマスパーティーがあり、家族でそれに出席し、深夜に帰宅してみると、チョコのようすが変でした。プレーリードッグの寿命は7~8年ということで、その少し前から、ちょと弱っているな、というかんじがしていたのですが、ケージのトビラを開けてやると、チョコは弱々しくはい出してきて、座っている私のヒザの上に登ろうとしました。

私は両手でつつんでヒザの上に乗せて、体をなでてやりました。そうしているとチョコは数分とたたないうちに、ヒザの上で息をしなくなりました。たぶんチョコは私たちが帰って来るまではがんばって生きていよう、と思っていたのでしょう。私のヒザの上の毛むくじゃらの小動物は、ゆっくりとだんだん冷たくなっていきました。

img816(プレーリードッグのチョコ)

 

 

水晶

ドイツの作家、アーダルベル・シュティフターの作品に「水晶」という小説があります。

クリスマスイブのドイツの山間(やまあい)の村で起こるできごとが、美しい文体でつづられていて、私の好きな小説のひとつです。

ドイツの山奥の村に住む、おさない兄コンラートと、妹のスザンヌは、クリスマスの前日、自分たちの住む村から、峠を越えた先に住む祖父母のもとを訪ねるのですが、その帰り道、降りだした雪で道をまちがえ、どんどん強くなる雪の中、二人は完全に道を見失い、山の深みへと入って行ってしまいます。

夜になり、雪はやみましたが、まわりは白い雪と氷の世界で、二人は岩屋根の下に入って身を寄せあい、満天の星のもと夜を明かします。

翌日、一面の銀世界の山中で道をさがし、苦難ののち、近づいてくる捜索隊の角笛に気づき、ついに救出されて、クリスマスの日に二人は無事に両親と再会するという、おおいに心配はさせられますが、美しく素朴な冬の物語りです。

シュティフターの小説は、なんと言いますか、古き良き時代のドイツ的厳格さの中に見えかくれする静かな詩情とでも言ったものが感じられ、私は時々読みかえしています。

シュティフターは小説を書くかたわら、美しい風景画もたくさん描いていて、そう聞くとその人生はおだやかなものに思えますが、晩年は悲惨で、肝臓ガンに冒され、それからくる極度の痛みに耐えかねて、カミソリで自らのノドをかき切って自殺したということです。

この詩情にあふれた人物が、これほどまでに悲惨な最期をとげることになるとは、人の人生というものは本当にむずかしいものだなと、つくづく感じます。

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(幻想絵画販売所より”光の精霊と天使”)

 

北斗七星

私は20代のころ、東京の三鷹に住んでいたことがあります。そこに引越したばかりのころ、夜おそく仕事からの帰り、三鷹駅からアパートのある上連雀(かみれんじゃく)までバスに乗ったときのことです。

私はうっかり乗るバスをまちがえて、それは私の住む方向とは別の道に曲がったようで、気がつくとバスは知らないところを走っていました。

あわてて私は、次の停留所で下車したのですが、あたりは庭木用の樹木が植えられた広大な畑で、道ぞいに街路灯がポツンポツンとあるだけで、そのほかには民家もなく、まっ暗でした。

私は途方にくれましたが、夜空を見上げるときれいな星が天空いっぱいに広がっていました。その一角にはひしゃく形の北斗七星があり、私は引越したばかりの夜、近くにある銭湯に行った帰りに星空を見上げて、そこにいま見ている北斗七星を見たことを思い出しました。

「あのとき、北斗七星があの位置にあったということは、いまこうして見ている自分はアパートからだいぶずれた位置にいることになるな…」。私はそう考えて、いまの自分が、アパートから見たのと同じ位置に北斗七星を見るためには、どっちに移動したらいいかを計算して、夜の道を進んでいきました。

いくつか通りを越して歩き、星をたよりに角を曲がってみると、私は見覚えのある道に出たことに気づきました。「ああ、この道をまっすぐに行くと、その先が私のアパートだ!」

そうして、その夜、私は予定よりだいぶ遅くなったけど、無事に自分のアパートにたどり着きました。この体験で私は、星を見て航海した古代の人の気分を、少しだけ味わったように思いました。

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(「水晶の船」 油絵です)

くるり「ブレーメン」

日本のバンド”くるり”の「ブレーメン」という曲は、なんともふしぎな曲です。まるで西欧のおとぎ話しかなにかのような物語り性があり、私は最初、これは「ブレーメンの音楽隊」や「ニルスのふしぎな旅」、「フランダースの犬」のような古典をベースにして歌詞が書かれているのかと思いました。

ストーリーのクライマックスで,身よりのない少年の小屋は、ついに落雷によって破壊されてしまい、少年は天に召され、その小屋の強欲な持ち主は、少年のわずかばかりの身のまわりの品を「いらぬ、いらぬ」と無造作に捨ててゆく…。しかし、人知れず街のために献身した少年の純粋さによって、その地にはバラが咲き、人々はいつしか少年のための歌を歌い始める…というような物語りが、ドイツかどこか、ブレーメンのあたりにでもあるのかな、と思っていたのですが、どうやらそうでもないようです。

この曲はまた、そのメロディーもすばらしいです。FMでかかっていたのを最初に聴いたとき、うかつにも一瞬泣きそうになるほど胸にせまってきたのを覚えています。

歌詞の終わりのほうで、渡り鳥たちが少年の生まれ故郷をめざして飛んで行くという描写があるのですが、これに続いてメロディーもそのテンポを速め、鳥たちの飛翔(ひしょう)をあらわすかのように高みへと昇って行きます。

これを聴いた翌日、私はさっそく渋谷のタワーレコードに行って、この曲の入っているCDを買いました。

%e3%83%87%e3%83%83%e3%82%b5%e3%83%b3(鉛筆デッサン 未完成です)

宇宙人っぽい人

このブログの最初のほうで、秋山眞人さんを私に紹介してくれたり、「角川書店の角川春樹社長に会いたい」と言って、本当に会ってしまったり、白山神社に奉納する絵を私に依頼したりしたのは、中島弘(ひろし)さんという人です。

現在AT研究所というところの所長で、慶応大学の経済学部中退、一見、ふつうの人のようですが、その中身は私がこれまで会ってきた人の中でも相当変わった人の部類に入ります。

私はこの人と話してると、なんだか宇宙人と話しているような気分になります。飄々(ひょうひょう)としていて、いつもそれほどうまくない冗談を口にするのですが、本人に言わせると「論理で整然と説明するより、冗談で笑わせて相手が心を開いたところで話しをするほうが、人にはこっちの言うことが伝わりやすい」ということらしいです。

それに続けて「地球人はまだ、論理というより情緒で動くので、オレはそれに合わせているだけ」とまじめな顔で言ったりします。

中島さんは「角くん、この宇宙はよくできた3次元ビデオのようなものなんだよ」と言ってました。「人間は、自身の進歩向上のために一時的に記憶をなくして、そのビデオの中に入ってゲームをしているんだよ。自分の意志でゲームやっているんだから、大変だからといってそこから逃げたってしょうがないだろう?懸命(けんめい)にチャレンジすればいいんだよ」なんてことを、いつも言ってます。

また「地球とは、高度な宇宙存在が直接かかわった特殊な空間で、ここに入りこむと、悟りきったと自負するトップレベルのマスターたちでさえ悩み迷う、そういう場所なんだよ」とも言ってました。

私は、この人が本当に宇宙人で、いつか中古のUFOを一台くらい私にゆずってくれたらいいのにな、と思ったりすることがあります。

img764(帽子の人が中島さん)

イタリア

行ったことないですが、イタリアが好きですね。街並みも、自然も、色彩といい、質感といい、すべてが好きです。フランスやドイツも好きで、ようするにヨーロッパ的なものが好きなんですね。

ふしぎだな~と思うのは、ヨーロッパは個人を尊重し、個性を尊重する国民性なのに、その街並みはむしろ統一されていて集団的調和を大切にしていて、日本はどちらかと言うと、個人というよりは集団からはみ出さないことを尊重する国民性なのに、その街並みは個々バラバラで、まるで統一感がないことですね。

まあ、日本の街並みだって江戸時代くらいまでは統一感があったのでしょうが、西欧化したりいろいろ混ざってしまって統一感がなくなったのだと思いますけど、ビルの横にカワラ屋根の家があり、レンガ風もあれば新建材のもあるというのは、ゴチャまぜ感満載の街並みであることは確かですよね。

そういう私自身の感覚も、よく考えたらゴチャまぜですね。私が子供のころ、テレビで熱中したのは「鉄腕アトム」や「スーパージェッター」で、そのため心の原風景は未来都市であったりしますが、でも住んでいたのは古めかしい瓦屋根の日本家屋で、クリスマスには仏壇のある部屋でクリスマスケーキ食べてましたし、普段の夕食どきにはテレビで演歌が流れているなか、食後は自分の部屋にもどって、”サイモンとガーファンクル”を聴いてましたからね。

絵も西欧のものにひかれます。でも自分で描くときに西欧そのものの絵を描いても、当の西欧の人にはモノマネとしか思われないでしょうし、「日本人なら日本の伝統に根ざしたものを追及するべきだ」なんて言われるでしょうね。

そう言われても、私にとっては、伝統的日本美みたいな絵を描くのは、欧米の人にウケようとする演出ならともかく、心からのものではないですから、自分としては不自然に感じますね。

私が西欧的なものに惹(ひ)かれるのは、理屈ではなく持って生まれた性(さが)のようなものだと思ってます。

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ドストエフスキー

ドストエフスキーの小説「罪と罰」は、若いころ読んで重苦しい気分になりました。そのころ私は京都にいましたが、歳が若くてお金がなかったという点では、私は「罪と罰」のラスコーリニコフと同じでしたから、読んでいて、なんだか身につまされる思いだったのを覚えています。

「罪と罰」は、貧しい大学生ラスコーリニコフが、「選ばれた非凡人は、世の成長のためになら、社会道徳を踏みはずす権利を持つ」という自身の理論から、金貸しのおばあさんを殺害し、奪った金で世のための善行をおこなおうというところから始まる苦悩のストーリーですが、でも私の場合は、金貸しのおばあさんを襲撃するどころか、当時、住んでいた下宿屋のおばちゃんに助けられましたね。

そのころは京都に来たばかりで、まだアルバイトにさえ就いてなくて、いよいよお金がなくなって2日ほど何も食べてないというとき、下宿のおばさんが、「角さん、これうちの庭でとれた柿(かき)だけど食べる?」と言って、ザルに入れた柿7~8個を持って来てくれたのです。

私は平静をよそおって「ありがとうございます。柿は好物なので、あとでいただきます」なんて言って、おばさんがいなくなってから、夢中で皮ごとかぶりついた記憶があります。

腹がへっていたときなので、甘さが身にしみて、本当にうまかったですね。あのころ一体、自分は何になろうとしていたのか…今考えるとワケがわかりませんがね。でも、その当時はそれなりに精いっぱい懸命(けんめい)に生きていたと思います…。

img760(京都のころの自画像です)