季節はずれのホタル

さっきホタルが見えましたね。久々でした。

子どものころ、鉄棒でぐるぐる回ったときなんかに目の前をヒュールヒュルと小さな光の玉のようなものが飛ぶ、あれです。虫のホタルじゃないやつ。

起立性低血圧とか、光視症とか、いろいろ言われてるようですけど、本当の原因はわからないんでしょうね、この現象。

私は昔からホタルって呼んでます。小学生のころ、友だちにもそれで通じましたね。それが見えると「ホタルが飛んだ~!」て、騒いでました。

あの光は実際のところは何なんでしょうかね。うすく発光した球体(?)のようなものが、アメーバみたいにヒュール、ヒュールと目の前を通りすぎて行く…。

その数はいっぱいのときもあれば、1~2個のときもあったような…。

目で追って、光の動きをコントロールできないかな、なんて思ったこともありましたが、ダメでしたね。

まあ、光はすぐに見えなくなってしまうので、そう念じる間もなく消滅してしまったですね。

これについて研究してる人、いるんでしょうか?あまりに儚(はかな)い現象なので、研究しようもないんですかね?

ホタル、出ないかな~と思って、首を振ってみたりしましたけど、あらわれません。

ほとんど首を動かしてないときでも、見えることもありますし、出現のきっかけはよくわかりませんね。ヘンなのって感じです。

掃除

朝、新聞を取りに玄関から外に出ようとすると、昨日、掃除したばかりなのに、そこにはもう土くれだの、知らないうちに落ちてる小さな虫の死骸だのがあって、掃除が必要でした。

う~ん、なるほど、これと同じように人間の中にも日々祓(はら)わなきゃならないゴミが溜まるってことがあるんでしょうね。

気にしないで無造作に生きていると、ゴミは知らぬ間に蓄積してしまうと…。くわばら、くわばら。

掃除は神事(かみごと)というのは本当でしょうね。

身のまわりが汚れているということは、それは心の反映で、意識の中にも淀(よど)みや汚れがたまっていると。

だから、奮起(ふんき)一番、掃除して身の回りがきれいになると、気持ちもスッキリしますね。これがつまり祓いということにつながるんでしょうね。

玄関は5分くらいで、きれいになりましたね。

きれいにすれば、良い運もやって来るというもんです。

「運」ということで言えば、トイレもきれいにしとかないといけないですね。

「うん」が良くなるわけですからね。

 

正殿の儀

昨日は正殿の儀でしたね。

東京に住んでる妹からラインが来て、儀式が始まると、それまで曇っていた空が晴れてきて、吹いていた風も止んだって、びっくりしてました。

儀式が終わると空はふたたび曇り、風も吹き始めたということでした。

う~ん、まあ、これこそ神事(かみごと)というものなんでしょうね。

さわやかに、明るく、一心(いっしん)に神事をとりおこなえば、まさにふしぎが起こってこようというものです。

これで日本も新天皇となり、令和の時代がめでたく始まったというわけですから、日本は自国のみならず世界の調和に貢献し、地球が良い学びの場となりますよう、邁進(まいしん)してもらいたいものですね、なんてね、まるで校長先生の訓話みたいなことを言ってますけど、子どものころの私がこれを聞いたらびっくりするでしょうね。

なにしろ私は訓話だの訓辞だのからは、もっとも遠いところにいる存在でしたからね。

子どもの私は、大人も国家もあんまり好きではなかったですね。

だから映画とは言え、”ゴジラ”なんかの怪獣映画の中で街が破壊され、分別ある大人たちがあわてふためくのを、私はワクワクしながら見てましたね。

まあ、小さなアナーキストですね。

でも今では、日本と言う佳(よ)き国に住む、佳(よ)き人びとが、佳(よ)き未来に向かって進まれんことを、心より望んでいるのみならず、世界全体もそのようにあることを切望してますね。

ですから、アナーキストなんてのはみんな本当は、ユートピアが遠すぎて困惑してしまった、さまよえる善人に過ぎないのかも知れないですね。

 

 

タイムスリップ現象

私のLpコレクションの中で唯一、レコードがなくなってジャケットだけになってるものがあって、ローリングストーンズのライブアルバム「GIMME  SHELTER  (ギミーシェルター)」なんですけど、じつはこれには大変な謎があるんですね。

このLpジャケットの中には、Lpそのものはなくなっているんですけど、ライナーノーツ(付属の解説冊子)は残っていて、それをこの前なんとなく見てたら、最後のとこにこれを書いた人の名前と日付けがあるのを発見して、「Noted  by  Shilow  Kuloda  10th  Fabruary  1982 」となってるんですよ…。

1982年といえば私は26才ですけど、私がこのアルバム買ったのは高校1年生のころなんですね。

つまり16才くらいですから1972年ってことですけど、その時に買ったLPに1982年の日付のあるライナーノーツが入っているなんてことがあるんでしょうか?おかしいですよね。

「買った時のことを記憶違いしてるんじゃないの?」と言われるかもしれませんが、そんなことはないんですね。

私はこのLPを高校生のころ聴いていた時の詳細をよく覚えてますからね。

今はなくなっている実家の離れの自室で、自作のスピーカーボックスから流れてくる「悪魔を憐れむ歌」に夢中になっていたことを、昨日のことのように記憶してるんですから。

う~ん、これはつまり、このライナーノーツだけが、何らかの摩訶不思議な理由によって、10年後の世界からタイムスリップして来てたという、驚くべき超常現象かも知れない…というようなことを考えてますけどね。

(ライナーノーツ表面)

「GIMME SHELTER THE ROLLING STONES 」

私、LPレコードをたくさん持ってるんですけど、その中で唯一、ジャケットだけあって中身のレコードがなくなってるのがあるんですね。

なんでそうなったかは、よくわからないんです。

タイトルは「GIMME  SHELTER  (ギミーシェルター) THE  ROLLING  STONES」です。

買ったのは高1くらいのときですから、もう40年以上前のことです。

このLPそのものか、あるいはCD化されていればそれが欲しいんですけど、ネットで探したかぎりではみつからないんですね。

どうしてこれが欲しいかといいますと、その演奏、曲順がすごくいいんですね。

1971年8月27日発売されたこのアルバム or CD、どこかにないかな~。

ご存知のかた、ぜひ教えて頂ければと思います。

ライブアルバムです。

A面最初が「ジャンピング ジャック フラッシュ」で、後半「ストリート ファイティングマン」、「悪魔を憐れむ歌」、「ギミー シェルター」となっていて、このライブの演奏がじつにいいんですね。

B面(裏面)は「アンダー マイ サム」から始まり、「タイム イズ オン マイサイド」~(中略)~「フォーチュン テラー」、「レディー ジェーン」、「サティスファクション」と続くというスグレもの。

頭の中で、このLP 再生するだけで、高1のころこれを聴いたときの独特の感情がよみがえります。

今のところ、LPジャケットだけがむなしく私の部屋のレコード棚の中に存在しています。

 

台風19号上陸

台風19号で各地が大変なことになってますね。

今から30年近く前のことですけど、川崎市の高津区に住んでいたころ、子ども連れてよく二子玉(にこたま)の河川敷に遊びに行ってたものですが、今回、多摩川が氾濫して、そのあたりが水に浸かってるのをテレビ中継で見て、びっくりしました。

あの河川敷には、夏場には海の家みたいな飲食店が出て、そこでよく焼きそばだのラーメンだの食べたものです。その近くにはちょっと小高い丘みたいになったとこに、松の木なんかが植わった散策路があって、懐かしい場所ですが、今回の洪水でそんな場所はみんな水没してしまってましたね。

昔だって、台風で多摩川の水かさが増すことはあったですけど、今回みたいになったことは記憶にないですね。

台風の北上にともなって被害も拡大してる模様です。

こういうのを見てると、自然災害というのが、もうこれまでのレベルでなくなってきてるのを実感しますね。

日本のみならず地球全体がいろいろと過激になってきているような、そんな圧力を感じます。

とにかく、これ以上被害が拡大しないことを祈るばかりです。

(過ぎてしまえば、こんな青空ですが…)

「与えることを知らず」

画家アンリ・ルソーの発見者である詩人のアルフレッド・ジャリは豪華な美術雑誌「ペルアンデリオン」を創刊して遺産を使いつくし、ポール・ゴーギャンは1893年、タヒチから帰国した際、ころげこんだ伯父の遺産を使って、ヴェルサンジェトリクス街にアトリエを構え、ジャワ女のアンナを愛人として、派手な生活をしていたそうです。

あ~あ、まあ、じつに芸術家的といいますか…。

古代神道一神宮の先生によりますと、「死んだ人のお金を自分のところばかりにかき集めて、世のため人のために使わず自分だけのために使ったなら、それは死に金となり、働いてくれない」とのことでした。

古神道の教えとは言っても、これは世界共通の神理でしょうから、日本人のみに当てはまるというものではなく、フランスの人にだって当てはまりますから、ジャリもゴーギャンも、そのことをわきまえて、入って来た遺産を蕩尽するのでなく、そのほんの一部でも人の救済のためなどに拠出していたなら、その後の人生はまた変わってきていたかも知れません。

「貯(たくわ)えるばかりで施(ほどこ)すことを知らず、取るばかりで与えることを知らず、上のごときであるならば、国潰(つぶ)れ、家潰(つぶ)れ、人、落ちぶれてしまう」ということでしょうね。

(ルソー「蛇使い」部分)

因縁のこと

相撲では1場所、15日の戦いで、8勝7敗なら勝ち越しでめでたいことですが、7勝8敗なら負け越しとなります。

古代神道一神宮の先生によりますと、人生もこれと同じで、その人の善因縁が悪因縁を少しでも上まわると、人生は好転して行き、逆に悪因縁が少しでも上まわると、人生はゴタゴタ続きとなり大変なことになる、ということでした。

善因縁、悪因縁トントンで均衡してても、幸せかというとそうでもなく、年中問題は絶えないそうです。

因縁と言いますのは要するに、その人が過去生から現在までやってきたことの積み重ねで、世のため人のためとなったことは善因縁で、人を困らせ世のためにならなかったことは悪因縁となるということです。

だれにもわからないだろうと悪事をはたらき、人の法から逃げきれたとしても、天の目は欺(あざむ)けない、ということを、かの老子は「天網恢恢(てんもうかいかい)疎(そ)にして漏らさず」(天に張る網は広々として粗いように見えるが、小さな悪事も見逃されることはない)と言ったそうで、一神宮の先生は、そんな悪因縁とは逆の人助けの善因縁は「無形財産」として、死んでも生まれ変わっても、その人についてまわり、「仕事がないときは仕事となり、人が必要なときは人となってあらわれて」人生が助かることになる、と言われてました。

そのことを人間はわからぬままに、「運」や「偶然」と言って済ませているけど、この宇宙には何ひとつ偶然などない、とのことでした。

「幻想絵画販売所」リニューアルの予定

「幻想絵画販売所」の絵を全面的に新しくします。

現在扱っている油絵はすべて展示をやめて、新しく水彩画のジクレーに入れ替えます。

以前、原宿での個展や、代官山のギャラリー”アートラッシュ”に出品して好評をいただきました「猫とバラ」の絵のシリーズの新しい水彩画を展示する予定です。

新しい絵は「幻想絵画販売所」で扱うほどには幻想的な絵でないかもしれませんが、「猫とバラ」も、現実にあるものを見て描いたわけではなくて、私の空想で描いたものなので、まあ、これも幻想絵画と言えば幻想絵画です。

リアルに描いてはいますが、空想の庭、空想の風景の中にいる空想の猫とバラの絵です。

風景の写真や、バラの花などを見て、それをヒントに、何か心に触れる気になるものを描き始めて、そうすると、そこにふさわしい猫の姿が浮かんできて、それを配置していると、いろんなことが定まってきて、光の加減や空の色など、流れのままに描きとめていくと、やがて猫のいるバラの庭の風景が出来上がってきます。

そうして、描き始めは自分でもどんなものになるのかわかってなかった空想の絵が完成します。

早くリニューアルしたいのですが、なかなか進みません。

すみませんが、気長にお待ちいただければと思います。