イラスト資料のファイル

以前はイラストの仕事やる上で、いろんな写真資料を集めたファイルは必須でしたね。

書籍の仕事なんかでは、イラスト依頼のときに編集部の人が資料写真をそろえてくれることが多かったですけど、中にはこちらで探さなくてはいけないこともありましたし、雑誌なんかの急ぎの仕事では、たとえば急に「背景に東京タワーの絵、描いてください」なんてことになると、やっぱりいいかげんには描けませんから、そういうとき、手持ちの資料があるとほんと助かりましたね。

今はネットで検索すれば簡単ですけど、当時はファイルした資料が頼みの綱でした。特に締め切りまで時間がなくて切迫してるときなんか、「この写真、ファイルにしといてよかった」と思いましたね。

だから、雑誌なんか読み終わっても簡単には捨てられませんでした。役に立ちそうな写真は切り抜いて、ジャンルごとにファイルに整理して、「医療関係」とか、「スポーツ」とか、「女性服装」とか、「日本名所・風景」とか、「作業・人物」、「子供・遊び」とか、いっぱい保管してました。

そんなファイルも今ではあんまり使わなくなってしまいましたが、それでも捨てられずに手許に置いてますね。

ルドンの ”貝殻 ”

アナログ人間ですからね。鉛筆のちょっとザラついた描線や、水彩のにじみが好きで、ペンやマーカーの線でさえ、少し粗(あら)めの用紙に描いたザラつきのあるものが好きですね。デジタルで描かれた絵は、どうもなじめないです。

中にはアナログっぽく処理したものもありますが、まあ私としては紙と鉛筆、絵具に勝るものはないと思ってますね。

このアナログな画材の中で、私は使ったことないですけど、パステルとういのは本当に独特ですね。

パステルでしか描けない表現というのがあって、これの極致はフランスの画家、オディロン・ルドンの絵ですね。

パリのオルセー美術館にある「貝殻」はすばらしいです。

貝殻のことはくわしくないですけど、あれは何んという貝なんでしょうね。その内側の淡い紅紫の輝きと、貝殻をとりまく砂浜とも何とも知れない茫漠としたいろどりの背景は、見ていると夢見の狭間(はざま)に誘いこまれるような、ふしぎな気分にさせられます。

パステルによる、微粒子の淡く深々とした表現は、他の画材では描くことが難しいですけど、その質感をなんとか油絵で描けないかと思うことがありますね。

 

イラストのプレゼン

イラストの仕事が重なるときは、書籍3~4冊同時進行に雑誌や定期ものなど重複して、強烈に忙しくなってしまい、それぞれの仕事へのペース配分など考えていると、気分的にも切羽(せっぱ)つまってきますが、その逆にポッカリ予定が開いてしまうときもあり、そういう貴重な時間は、最新のイラスト仕事などをまとめた資料を作って、しばらくごぶさたの版元さんや編プロさんに挨拶メールとともに送ります。

まあ、営業ですね。本来はこういうことはあんまり得意じゃないんですけど、フリーのイラストレーターなんて、そんなこといってられませんからね。

大手の出版社なんかは、部署の移動が多かったりで、しばらく仕事してないと、担当だった人が全部他の部署に移っていて、私というイラストレーターの存在を忘れられてる、なんてことも起こり得ますからね。

なので、こまめなフォローは大切ですね。

昔はイラストの資料のファイルしたのを持って、編集部に出向いてましたけど、今はメールで送れるので楽ですね。

先日は、そんなワケで、イラスト資料を数十社に送る作業をしましたね。

(学研 ” もちあるき図鑑 ”のプレゼン用資料)

シュモクザメ

シュモクザメっていうサメがいますね、英語でハンマーヘッドシャーク。

頭部がカナヅチみたいな形になっていて、「どうしてそんな形をしてるの!?」と思えるほど奇っ怪です。

この形の頭部だと、海の深いところから上昇するのに便利で、他のサメよりも鋭角的な上昇が可能ということらしいです。

でも、この形があきらかにサメにとって有利なら、他のサメだってこの形状になったほうがいいでしょうに、なんでシュモクザメだけこの形してるんでしょうね。

ハンマー型の頭部が生物として優れているのなら、進化論的に言えば他のサメもこの方向に徐々に進化するべきなんじゃないですかね。あるいは、他のサメも、その形状に向かって進化の途上にあるというなら、普通のサメとシュモクザメの中間種みたいなのがいてもいいはずですけど、そんなの見つかってないですよね。

でも、もしシュモクザメの形状が生物学的に特に優位な形じゃない、ということになったら、そんじゃあシュモクザメはそんな形してないで、普通のサメみたいに砲弾型に進化(退化?)すればいいんじゃないかってことになりますよね。

「カナヅチ頭の意味はなに?」と、一度シュモクザメに聞いてみたいですよね。

「そんなこと知らね~よ。生まれたときからこうなってたんだよオレは。きっと神さまが、おもしろがってこんな頭にしたんだろうよ」なんて答えるんですかね?

(昭和35年刊 小学館の魚図鑑より)

古楽

古楽というのが好きですね。

この前、東京に行ったとき、渋谷のタワーレコードに行って、クラシックのCDの、古楽コーナーを探したんですけど、さすがに他のジャンルにくらべて数は少なかったですね。

まあ、古楽が置いてあるだけで、ありがたいことですけどね。

古楽というのは中世からルネサンスにかけての音楽ですけど、聴いていてなつかしいといいますか、先祖返りをしたかのような素朴で神秘的な気分になります。

ファルコニエーリ、フレスコバルディ、ダウランドなどの作曲家がいますが、そのとき買ったのは「ダウランド・リュート伴奏歌曲集」と、「悪魔の歌~中世世俗歌曲集」の2枚です。

「ダウランド~」は歌がカウンターテナーのスティーヴン・リッカーズということで、中世の王宮の庭で、夜、月の光を浴びながら、茂るツルバラの下の大理石のベンチに腰かけて、歌声に耳をかたむけているような気分になりますね。

「悪魔の~」は3声のバラードで歌われる中世フランスの世俗歌曲集で、タワーレコードによる限定販売のもの。

” 旋律ゆたかな ハーブを憂いなく 楽しげに奏でれば いずれの人も 心なごむことだろう その諧調を耳にもし また目で見ることもできるゆえ ”と、3声のヴィルレーが歌われて、遠く切れぎれの夢の記憶をたどるような、ふしぎな気分にさせられます。

” 病院で起こった不思議な出来事 ”

マキノ出版刊、” 病院で起こった不思議な出来事 ”という本にイラストを描きました。

昭和大学横浜北部病院~外科教授の南淵明宏先生という方が書かれたもので、いわゆるオカルト本ではありません。

長年、心臓血管外科医として心臓手術の最前線で執刀されているお医者さんのリアルな体験談と、感想がつづられています。

この先生がまだ「駆け出しの心臓外科医」だったころ、大学病院からの紹介で患者Eさんがやって来て、重度の狭心症の手術をしたときのこと、手術後、原因不明の肺出血が起こり、3日間徹夜の対応にもかかわらずEさんは亡くなったそうです。

先生は精根つきはてて自宅にもどり、ベッドにつっ伏して自責の念とともに「私の心臓外科医としてのキャリアはおしまいだろう」と打ちひしがれていたとき、カチャリと部屋のドアが開きました。

「体を起こす気力もなく、うつぶせに寝たまま」の先生には、足だけしか見えませんでしたが、「それが亡くなったEさんであること」がわかったそうです。

「Eさんですか」との先生の問いかけに、その人は答えず、しかし聞き覚えのあるEさんの声で、「心配しなくて大丈夫ですよ。~南淵先生、一生懸命がんばってください」と語りかけてきたということです。

そして今も、この先生は、心臓という器官に対しての畏敬(いけい)の念を常に忘れることなく、人間存在のふしぎを思いながら心臓手術に日々臨(のぞ)んでおられるということです。

クリムト展

今、クリムト展やってるんですね。7月まで東京都美術館で開催ということで、「エウジェニア・プリマヴェージの肖像」も来てますね。

銀行家オットー・プリマヴェージの奥方の肖像ですけど、私が好きなのは、この人の9歳の娘を描いた「メーダ・プリマヴェージの肖像」で、こっちは来てないみたいですね、残念ですね。

「エウジェニア~」のほうは、豊田市美術館蔵となってますけど、2007年に出版された六曜社刊のクリムトの画集では「ニューヨーク 個人蔵」となってるので、その後、豊田市美術館が買ったんですかね。

オークションで買ったらスゴイ金額でしょうけどね。2006年にクリムトの描いた肖像画「アデーレ・ブロッホ=バウアー」は156億円で落札されたって話しですからね。

まあ、お金の話しはいいですけど、今回、日本に来なかった「メーダ・プリマヴェージの肖像」は、メトロポリタン美術館蔵で、ここから借りるのはむずかしかったんでしょうかね。

「メーダ~」は9歳にしては大人びた表情してますが、腹部の膨らんだ奇妙なドレス姿といい、バックのうす紅色の色彩といい、ふしぎな美しさにあふれていて、クリムトの超越的な技量が画面全体に満ち満ちた傑作なんですけどね。

(こちら六曜社の画集です)

山里亮太君 結婚!

南海キャンディーズの山里亮太君、女優の蒼井優さんと結婚。ホントびっくりしました!

山ちゃんはTBSラジオの昼の番組「たまむすび」の火曜日担当で、私は放送の始まったころから、イラストの仕事しながら、よく聴いてましたからね。

始まってしばらくして、私は東京から岡山に来て、「あ~あ、TBS聴けないな~」なんて思っていると、なんとラジコというのができて、全国のAM、FMラジオが月々350円プラス税で、パソコンで聴き放題という便利なことになって、以来、東京にいたときよりもクリアな音質で聴けてますね。

私が中高生のころは、AMの民放ラジオなんて電離層の状態がよくなる夜だけ、しかもひどい雑音混じりなのを、なんとか聴いて、そこからかろうじて洋楽の情報なんかを得ていたのが、今では聴き逃した番組までラジコで聴けるという、夢のようなことになってますね。

そして山里亮太君ですが、めでたいことです。

ラジオはテレビと違って、どんなにうまく自己演出しても、その人の地(じ)の部分がふしぎに見事に伝わってきますから、計算や演出でない本質部分が素敵でないと、聴いていておもしろくないですけど、山里君はその点、じつにいいですね。

良いご両親に育てられたんだろうな~という、彼の素(す)の良さが、一見(いっけん)毒のあるトークの中からも伝わってきますからね。

「たまむすび」では、アナウンサーの赤江珠緒さんとのコンビも絶妙です。

末永いお幸せをお祈りしております。

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海の思い出

もうすぐ海の季節がやってきますね。

宇宙と海は似てますね。海を航海するのは船で、宇宙を行くのは宇宙船で、宇宙は無限の彼方まで続き、人ひとりにとっては海の広がりも無限のようなものです。

私が子どもで、まだ海を見たことがなかったころ、空想の中での海は、星空のように横たわる無限の深さと神秘な暗さを持っていて、入り込むともうもどれない少し恐ろしいところのある、遠いあこがれの場所というかんじがしてましたね。

家にあった海洋生物図鑑の深海の絵なんかが、暗く深い海のイメージを、子どもの私に与えたのかもしれません。

テレビもなかったですからね、1~2歳のころは。

図鑑ばかり見てました。

本物の海を見たのは小学生になってからで、初めて見た昼間の瀬戸内の海は、私が知っている空想の海とは別物でしたね。

それから何度もいろんな海に行きましたが、私の中には、いまだに遠く無限に広がる暗くて深い空想の海への、なつかしいような、憧れのような気持ちが消えずにありますね。

現実にはない思い出の海への思いであります、なんてね。

“ 17才 ”

今、アイドルがおおいに流行ってますが、私が中学生のころは(大変な昔のことで申し訳ないですが)、アイドルなんて言葉はまだメジャーじゃなかったように思いますね。

フランスの女性歌手でシルビー・ヴァルタンという人がいて、その曲に ”  アイドルを探せ ”なんてのがありましたが、あの当時、私にとって日本人のアイドルはだれかとなると、思い浮かばないですね。

フランス人のダニエル・ビダルという女性歌手が好きでしたけど、日本人となると、えーと…そういえば南沙織(みなみさおり)という人の  ”17才  ”というシングルレコードは持ってましたね。

これはいい曲ですね。デビューする南沙織さんに、作曲家の筒美京平さんが、「どんな曲が好き?」と聞くと、南さんは「リン・アンダーソンのローズガーデン」と答えたということで、そんな雰囲気のメロディーで作曲したのが、” 17才 ”ということらしいですけど、さすがに才能ある人はすごいですね。” ローズガーデン ”のようでありながら、南沙織さんのイメージにピッタリの、17才の少女の清々(すがすが)しさを見事に表現した日本の曲 ━ ” ローズガーデン ”とは別ものの日本のポップスを作り上げるなんて、やはり筒美京平さんは名作曲家だとつくづく思います。

” 17才 ”は、今、聴いても、中学生のころ感じたのと同じ、胸キュンな気持ちになりますね。

(こちらは、ベストを集めたCD)