” 平成 ”終わりますね

もうすぐ平成が終わりますが、昭和生まれの私としましては、これで3つの元号を生きるということになるわけで、自分が子どものころは明治生まれの人なんて聞くと、「明治、大正、昭和と生きているとは、なんて年寄りの人なんだ」と思ったものでしたが、気がつくとこの自分がそれと同じ立場になりつつあり、時は流れるものだなあと実感し、「今の若い人たちは、自分が年とるなんてリアルには思い描けないだろうけど、まあ、見ててみな、君だって本当に年とることに気づいて、驚く時が来るんだから」なんて思って、人の世の哀れと言いますか、時の流れの無常といいますか、ヴェルレーヌの詩の「秋の日のヴィオロンのためいきの ひたぶるに身にしみて うら悲し」の情感と言いますか、なんだか人生の秋を感じて、「ここかしこ さだめなくとび散らふ 落葉かな」なんて気分になることも、ないワケじゃないんですが、まあ、年取ったぽく生きてもしょうがないし、もともとそういうのは趣味じゃないので、「木が樹冠を伸ばしているかぎり、その木は若いのだ(トマス・マン)」のほうの生き方で行こう、ということで、、「千年たっても変わらぬ樹々の若葉かな」なんて、どこかで聞いたことあるこれを基本方針として、樹々にとっては葉、人にとっては言葉が大切ですから、良い言霊(ことだま)を発するようにこころがけながら、日々生活して行こうと思ったという、まあそんな今日この頃です。

(「飛び散らう」じゃなく{飛び散らかる」落葉)

C・W・ニコル著 ”わたしの宮沢賢治 ”

私は宮沢賢治はそんなに読んでないんですよね。

これまで、仕事としましては、宮沢賢治に関する本のイラストを何冊か描かせていただきましたけど、じゃあ、どれくらい宮沢賢治作品を知っているかというと、そんなに多くはなくて、まして、作品についてなにか語れるかというと、そういうなんと言いますか造詣(ぞうけい)の深さというのは、まるでないんですね。

私が宮沢賢治に対して抱くイメージとしましては、ヨーロッパへのあこがれに裏打ちされた特有の、日本の東北の、土着的な、夢想的な、それでいてきまじめで、ひたむきな、薄命の作家であり文化人、というようなかんじなんですが、その宮沢賢治について、日本人の私なんかより、ぜんぜん深いシンパシーと情熱と理解を持って、イギリスはウェールズ出身の作家、C・W・ニコルさんが書き下ろした本、” わたしの宮沢賢治 ”のカバーイラストと、本文イラストを、今回担当させていただきました。

若いころ、空手の修行で日本に来日し、あるときはカナダの水産調査局技官として北極に行ったり、日本とノルウェーの両方の捕鯨船に乗って航海したりと、じつに波乱万丈の人生を送ってこられたニコルさん、現在は長野県黒姫に住み、作家としての活動のほかに、「C・W・ニコル・アファンの森財団」理事長として、自然再生活動にも従事されてるらしいですが、この” わたしの宮沢賢治 ” は、じつに素敵な読物となっています。

(ソレイユ出版刊 )

” ムーン・リバー ”

” ムーン・リバー ”、美しい曲ですよね。子どものころテレビでやってたアメリカの歌番組” アンディー・ウイリアムス・ショー ”(たしかそんなタイトルだったような…)で、アンディー・ウイリアムスも歌ってたような…。

はるかなあこがれを誘う美しい曲です。

オードリー・ヘップバーン主演の映画、” ティファニーで朝食を ”のテーマソングですよね。

私は映画は見てないんですね。曲だけ知ってるんです。カポーティの小説の映画化。この中でヘップバーンふんするホリーの名刺に、「ホリー・ゴライトリー・旅行中」と記(しる)されているのがかっこよくて、二十歳前、京都の印刷会社で働いていた私は、その会社の中にあった写植屋さんに頼んで、「角愼作 住所・旅行中」と印字した紙焼きを作ってもらって、それをコピーして名刺として持ち歩いてました。

もちろん仕事では使えず、少数の知人に渡しただけですけど、「住所・旅行中って、なんてオシャレな名刺だろう」と自画自賛してましたね。実用性ゼロですけどね。

「1マイルよりも広いムーン・リバー 私はいつの日か シャレたスタイルであなたを渡ろう」。ムーン・リバーの歌詞、「Wherever  you’re  goin’,  I’m  goin’  your  way」(あなたが行くところに、どこだって私はついて行こう)くらいであやふやになって、その先はもう歌えませんね。

(昭和46年の単行本 定価140円です)

シューマン ” 森の情景 ”

森への入り口にさしかかると、ヒースや接骨木(ニワトコ)の木の茂るその先は、どこか別の国に通じるようなふしぎな静けさと、予感に満ちた光に支配されていて、狩人が迷いこみ、預言の鳥の歌が梢(こずえ)にこだまする森゙…。

ロベルト・シューマンのピアノ曲、”森の情景”は、そんなドイツのどこか遠い森の叙情的な風景を表象していて、ドイツの森になんか行ったことのない私でさえ、その空気を感じてしまうような音楽です。

その第1曲「森の入口」には、「森」という言葉にこめられた神秘と、憧憬(どうけい)と、やすらぎと、開放感と、目的もなくさまようことのよろこびと、未知の自然の中にとらわれるふしぎな気分、つまり「森」に歩み入るときに起こることになるそのすべてが、メロディーのうちに宿されている夢想的な名曲です。

この後に続く曲も、もちろん良いのですが、私としてはこの第1曲、「森の入口」だけで、「音楽によってもたらされる”森”体験」のすべては完結してしまいます。

だから私はこの”森の情景”全曲を聴き終えても、なんだか森の入口にひとりとり残されたままのような、そんな気分になってしまいます。が、しかし、この曲の場合、それはそれで、まったく良いことであるのかも知れません。

(花の上の”森の情景”  LPジャケット)

イチョウの落葉

うちの家の前を通る道路ぎわにある大きなイチョウの木の葉は、毎年、今ごろになると紅葉して黄色くなり、歩道に降り積もって、道一面が黄色のじゅうたんを敷いたようになります。

晴れた日には、道は黄色の光に満たされて良い眺めなのですが、少し時間がたち、雨でも降ろうものなら、水を含んで変色し、滑りやすくなります。

この道は近くの中学生、高校生の通学路になっていて、彼らはみんな自転車で学校に行くので、変色したイチョウだらけの滑りやすい道は、あまり安全とは言えなくなります。

そのため私は、今ごろのときを見計らって、道に積もった落葉の掃除をはじめます。

私が落葉を掃きよせる方向に風が吹いているときは掃除がしやすく、逆方向に風が吹くと、せっかく集めた落葉が元の道に飛びちらかって大変です。

今日の風は良い方向に吹き、葉をちらせず、作業はじつに順調に進みました。

風を司(つかさど)る精霊が味方となってくれたおかげで、掃除は予定よりだいぶ早く終了することができ、これで道はスッキリきれいになり、雨が降っても、もう自転車の滑らない安全な道となったという、まあそんな次第です。

(掃除するまえの道)

由紀さおり” 生きがい ”

ラジオ日本のスマートNEWSという番組で、キャスターの男性が就活についてたずねられ、「私はロックンローラーになりたかったので、まともに就活したことはなかったですね」と言ってて、私も就活とか面接なんかとはまったく無縁の人生を送ってきたので、このキャスターも同類の人のような気がして、「ラジオ日本で立派に職を得て、よかったじゃない」と、祝福したいような気分になりましたね。

私なんか本当、いろいろ職を転々としましたからね。

あるときは印刷会社、あるときは土木設計事務所、あるときは大道具さん、京都のゲームセンターでは、蝶ネクタイつけてルーレットのディーラーやったりもしましたけど、流れ流れてというかんじで、今ではイラストレーターですからね。

会社員のような安定した人生じゃないですね。

高校生のころ聴いた、由紀さおりさんの” 生きがい ”という曲の歌詞で、「今あなたは目覚め タバコをふかしてる 早く起きてね バスが来るでしょ」というのがあって、ホントにこのかんじいいな~と思っい、「自分もこんなふうに、朝起こされたい!!」なんて考えましたね。

そうやって会社行ってね、帰ってきたら美人の奥さんがいてね、そんな良き市民としての生活というものにあこがれてた時期もあったですね。

でも、人生わかんないもので、今ではその当時、夢にも思ってなかったイラストレーターですからね。

退職金もないですけど、定年もないですからね。

生きてる限り仕事してると思いますよ。

(仕事でイラスト描いた本の一部)

暖かい日

11月なのに、このところ暖かい日が続いてますね~。

先日、寒さに備えてユニクロでフード付きのフリース買ったのに、今日なんて上はTシャツとトレーナーの2枚で平気ですからね。

朝から太陽は燦燦(さんさん)と降り注いでいて、気持ちいいですよ。

この前から、かぶせモノしてた奥歯がグラグラして、調子悪く、メシ食べると痛みもあって、「こりゃもう歯医者、行くしかないかな」なんて思ってたんですが、あんまりグラグラするので、思いきって「テイッ!」とねじって引っぱってみると、その歯はゴキッと抜けて、ちょっと血が出ましたけど、それで万事OKとなって、とりあえず奥歯1本なしなんて多少の問題には目をつむって、「あ~、すっきりした。これで歯医者、行かなくてよくなった」となり、他にも、頚椎変異で神経が圧迫され、そのため左半身には微妙なシビレがあったり痛んだりしますが、まあ死ぬワケじゃないし、歳のわりには全体にこんなもんで済(す)んでいるんだから、「助かるよな~」、と思い、その上、今日のこの天気の良さとくれば、これはもう庭に出て、上半身マッパになって、カメノコダワシで体をゴシゴシこすって、”タワシ健康法”。これで今年も風邪引き知らず。今日もじつに良い日だ!と、まあ、そんなこんな、一日の始まりとあいなりました。

(タワシでゴシゴシです)

” Season’s Greetings ”

Season’s  greetings  は「クリスマスおめでとう」という意味。

山下達郎さんのアルバム ”  Season’s  Greetings  ”は、クリスマスシーズンの名曲を、アカペラとフルオーケストラでカバーした良いアルバムです。

夏が終わり、秋が深まり、やがて12月の声が聞こえようという、今ごろから、私はこのアルバムを時々、仕事中に流すことを恒例としています。

いつも思うことですが、クリスマスが1年の中のほんの1日で終わってしまうというのは、なんとも短かく、はかなくて、子どもではない私でも、夢のように終わってしまうその1日、一夜がもっと長く、できれば永遠に終わらぬ夢のように続いて行けばいいのに、と思うことがあります。

キリスト教徒でもない私ですが、クリスマスの気分はいくつになっても特別です。

チキンやターキーのごちそうが食べたいわけでもなく、ワインやシャンパンで乾杯したいわけでもなく、ましてクリスマスケーキやクリスマスツリー、雪の積もったホワイトクリスマスを期待するわけでもありませんが、なんだかちょっと神聖で、なにかを待ち望んでいるような、気がかりで、日常とは少しちがった高揚感が、あたりの空気に浸透しているふしぎな感覚、そういう気分に満たされて、大人である私のクリスマスは毎年、特にどうということなく過ぎて行きます。

そんな何もないクリスマスの日と、その前後の期間を、この” Season’s  Greetings ”  は、名曲の数々で美しく包みこんでくれる、私にとって欠かすことのできない、まるでクリスマスの季節から届けられた、音楽のあいさつ状のようなアルバムです。

ストレッチ

Perfume(パフューム)、あーちゃんこと西脇綾香嬢が、「私たち待ち時間が少しでもあるとストレッチ始めてる」と言ってましたけど、あれだけキレキレの動きのできる20代の女子でも、ストレッチをこまめにやってるんですから、私みたいな、まったくキレキレでない歳のいった男なんて、それこそ「待ち時間」どころか、わざわざ時間作ってひんぱんにストレッチやるくらいでないと、ほんとにカラダは硬くなるいっぽうですね。

私の場合、もともと全体的に柔軟性ないほうなので、ちょっと油断してると、立位で前屈して、手が床につきづらくなるので要注意です。

若いころは放っておいたって、カラダは普通に動くと思ってたものですが、歳を重ねると、どっこいそうはいきませんね。

若い人は肌のツヤからカラダの動きまで、本当に素晴らしいですが、その素晴らしさを知るのは、だれでもそれを失いかけてから、ということのようですね。

こんなあたりまえのことが、やはり経験してみないとわからない、ということで、歳を取るということも、魂にとっては学びなんでしょうね。まあ人間、いくつになっても学びは続くということなんでしょう。

(KADOKAWA刊「痛くないストレッチ」に描いたイラスト)

 

自主トレ

絵本作家の角野(かどの)栄子さんが、” 魔女の宅急便 ”の続編を書いておられるみたいですね。すごいですね。

1935年生まれの83歳。創作は年齢にしばられないということですね。

私も仕事に対してはこうありたいものです。まあ、私の場合、作家じゃないですけど、定年なんてないので、あとはやる気ですね。

とは言っても、もちろんやる気だけじゃダメで、常に進歩発展といいますか、いろいろな意味で新しい展開を模索(もさく)するとか、それに、いい仕事をするには心のありようが解放されてないといけませんけど、そして体力ですね。

私くらいの歳になると、意識的に動かさないと、身体はすぐに劣化しますからね。絵を描く仕事は、指が衰えると商売にならないので、自主トレするときは指を立てた腕立てふせやってますね。

1回ずつアゴを床につけてやると、30回くらいでけっこうキツイですよ。昔は拳握って拳立てふせ200回くらいやってたんですけど、今は指立てアゴつけ30回、まあ、こんなもんで衰えは防げると思ってますけどね。

あとは腹筋、背筋なんかとスクワット。スクワットはラスト10回はジャンプ入れてますね。

それから、突いたり蹴ったりの移動稽古のまねごと。もうヘトヘトです。でもスッキリしますね。毎日じゃなくて、中(なか)2日あけてやってます。

(自主トレやるのは縁側です)