”思い出のサンフランシスコ”

『あれはいつだったか、まだサンフランシスコが夢の中にあったころ、私はゴールデンゲートブリッジの上をすぎて行く風とともに、その景色の中にいたことがある…』

なんて歌詞じゃなかったですかね? ”思い出のサンフランシスコ”は。

違いましたね、調べてみると。

「高き丘が私に呼びかける 小さなケーブルカーがあり 星に向かって登っていく」と歌われてますからね。『ゴールデンゲートブリッジの上をすぎて行く風とともに』なんてことは、どこにも書かれてないですね。

きっと、どこかの別の歌とカン違いしてるんでしょうね。

『その風は私の髪をサッとなで、”さよなら”と言って通りすぎた』というのも覚えがあるんですが、トニー・ベネットの歌を聴いても、そんな歌詞は出てきませんね。「青く 風が強い海の上で 私がここに帰って来たとき 黄金の太陽は 私に輝くだろう」となってますね、和訳で見ると。

”思い出のサンフランシスコ”はいい曲です。

アメリカがまだ夢とあこがれの中にあった時代の名曲ですね。

それにしても、私は一体この架空の歌詞を、どこで耳にしたんでしょうね。『おお、思い出のサンフランシスコ、私はあなたとともに、いつかあの丘を登る日々を、夢の中で旅しよう』なんてね。

私には、そんなふうな歌詞の覚えがあるんですけどね、何なんですかね。

(庭に生えてたハーブ類、レモングラスやペッパーミントです)

ワクチンの話し、いろいろ

米国のジャーナリスト、アンソニー・パッチという人は、2014年に今回の新型コロナ騒動を予言するように、こんなことを言っていたそうです。「人工的なパンデミックが起こり、人々がワクチンを求める声が大きくなる」。「そこで登場するワクチンは、人の体内のDNAに第3の種を加える効果があり、結果的に遺伝子の変化によって、人は思考能力が低下し、マインドコントロールされやすくなる」。「そして、人々は支配階層の言うなりになる」と。(YouTube 「及川幸久THE  WISDOM  CHANNEL youtube.com/watch?v=Oyr9MSg2KR8)

2014年にこの人がなぜこんな話をしたのか、その背景にどんな情報があったのか知りませんが、なんだか不思議な話しです。

さて、次に現在接種がすすめられているワクチンについての話です。

バーノン・コールマン博士というかたは「このワクチン接種では、病原性プライミング、またはサイトカインストーム(免疫暴走)として知られる問題がある。ワクチンを接種した人の免疫システムは、将来、ウイルスに接触した際、非常に劇的な方法で反応することになっている。私は2021年の秋冬にそれが起きることを心配している。ワクチン接種者は、次にコロナに感染したとき、免疫が過剰に反応し死者が出る可能性があり、2020年10月にこのことが発表されているが、あまり知られていない」と。(これは私の5月16日のブログに書いた、ファイザー社の元副社長の言っていたこと、「動物実験としてこのワクチンを接種した猫のうち、生き残っていたものが、後に別の風邪をひいたところ、猫はすべて死亡した」という結果と同じことを意味するのでしょうかね?どうなんでしょうね。)

また、ゲールトファンデン・ボッシュ博士というかたは「ワクチンによって生成された特定の抗体が優位となってしまうため、白血球の自動抑制システムが抑えられる。つまり、ワクチンにより、人の持っている自然免疫システムが破壊されてしまう」とも。(リッキー社長2ndチャンネル「とある博士の声明:滅びの「その時」が来るタイミングまで詳細に論理的に解説されてます~」youtubu.ocm/watch?V=fOukXJDHTg)

つまり、これらのことが本当なら、このワクチンの危険性として、接種直後の副反応以外にも、後になって起こる可能性のある免疫反応が懸念されているということでしょうけど、どうなんでしょうね?

テレビだけ見てる限りでは、そんなことはほとんど報道されてなくて、「ワクチン接種こそが、新型コロナ対策の切り札」的な話しばっかり放送されてますけど、今回のワクチンは人類初経験のものであることから、有効性について報道するのなら、その危険性についての情報も公平に報道するというのが、報道機関のあるべき姿なんじゃないかと、私は思いますけどね。

手嶌葵 ”ただいま”

歌姫といえば、そうですね~、いま思いつくのは手嶌葵(てしまあおい)さんですかね。

彼女の歌声というのは、なんといいますか ”心”というんでしょうか、そういうのがあるように私は思うんですよね。

宮崎駿監督のアニメ映画”コクリコ坂から”の挿入歌で ”サヨナラの夏”というのがありますけど、これを歌ってるのが手嶌葵さんですけど、いい曲です。

あのアニメの中には、高校の校歌で ”紺色のうねりが”というのが出てきて、たしか作曲が谷山浩子さんだったと思いますけど、あれも昭和チックでちょっといい曲ですけどね。

まあ、でもあの映画の挿入歌の白眉は ”さよならの夏”ですね。

そして今回、手嶌さんの歌で ”ただいま”というのが、今年2月に発売されてるみたいですけど、いい曲ですね。

失恋の曲なんでしょうね、悲しい曲で、ミュージックビデオなんか、つらくて見てられないかんじの映像ですけど、あれに出演してる女性はなんという人なんでしょうね。曲に歌われてる悲しみがよく似合ってて、歌詞のイメージそのものずばり的な女の子で、まあよく見つけてきたな~なんてね。きれいな人ですけど、目元の陰りなんて、じつに内容にピッタリの、憂いのある表情の女性です。

まあ、その女性のことはともかくとして、この曲もまた手嶌葵さんの独特の歌声がかもし出す、はかなくも美しい曲ですね。

こんなふうに、いい曲にめぐまれるというのも、この人が歌姫であることの証でもあるように、私は思いますけどね。

新型コロナワクチン接種について その2

PCR検査を発明した科学者、キャリー・マリス博士(ノーベル賞受賞者)は、新型コロナ騒動の始まる直前の2019年8月に、アメリア、カリフォルニア州の自宅で急死したそうです。

生前、博士は「PCR検査は感染症の診断に使ってはならない」と言っていたそうですが、PCRはもともと試験管の中で遺伝子を増やす技術で、遺伝子工学などの分野では利用されていましたが、これを医療の分野で使うかどうかは、医師の間でも意見が分かれているそうです。

そして、PCR検査はクラミジア(性感染症)でも、アデノウイルスでも、インフルエンザでも陽性になるそうです。

アフリカのある国の大統領が、WHOからPCRキットを取り寄せ、ヤギの乳やパパイヤの汁などを塗って返送したところ、「陽性」と判定されたという情報を、宗像(むなかた)久男さんという医師が発言されてました。

さて、次にコロナワクチンのことですが、昨年12月1日に、元ファイザー社の副社長であったイードン博士という方が、ワクチン接種を中止するように、EU欧州医学省に嘆願書を提出したということです。

その内容は、動物実験としてこのワクチンを接種した猫のうち、生き残っていたものが後に別の風邪をひいたところ、猫はすべて死亡したという結果や、女性は胎盤の形成ができなくなり、永久に不妊になる可能性があること、また、ワクチンに入っている添加物のポリエチレングリコールは致命的アレルギーを起こす可能性があり、発ガン物質である可能性がある、などの理由からワクチン接種を中止するように、と嘆願書を提出したとのことです。

現在、アメリカ国立衛生研究所では、コロナワクチンの安全性の確認調査をしているところだそうですが、その完了は2023年1月31日だそうです。つまりワクチンの安全性は少なくとも2年後までは確認できないということです。

さて、そんなわけで今回、ワクチン接種による不測の事態が起きても、ワクチンを作った製薬会社はそれに対して免責されていて(つまり責任を負わなくていいということです)日本の場合、国が責任を取るということらしいですが、ワクチン接種の後に死亡した場合、「死後の病理解剖をしている」、「接種前、接種後を比較できるデータ(CTスキャン画像など)がある」、「基礎疾患による死ではないと証明できる」などの条件があり、これがクリアされないと、「ワクチン接種との因果関係があるとは評価できない」と判定されてしまい、裁判に持ち込んでも国に責任があるということにはならないだろう、ということらしいです。(YouTube  中野しんすけ「加齢ストップチャンネル youtube.com/watch?V=bPvj5Knwhn4)

「コロナワクチン、接種しようかな」と思われている方、いろいろと情報を調べ、よ~く考えてみたうえで慎重に判断されることをお勧めします。

(ワクチン接種がDNA⦅遺伝子⦆に及ぼす長期的な危険については、私のブログ4月22日の投稿をご覧いただければと思います)

NHK出版「趣味の園芸”新しいバラの方程式”」連載イラスト

岡山市内では、もうバラが満開のようですが、私の住んでる県北の美作では、バラはやっと咲き始めたというところです。

去年やそれ以前に新苗を買ってきて、玄関先に鉢植えしたものは、今年けっこう成長して、花をたくさんつけてますけど、今年買ったばかりの新苗は、今は株を大きくすることにエネルギーを使ってもらい、来年の成長したあかつきに多くの花をつけることを期待して、今年は花は一輪だけ咲かせて花の色を確認した後は、ツボミは摘心して、花は咲かせないようにしています。

今、イラストの仕事でも、NHK出版の”趣味の園芸”という月刊誌で、4月号から”新しいバラの方程式”という連載のイラストを担当していて、言ってみれば仕事と庭仕事の両方で、バラ、バラ、バラという毎日を送ってます。

数年前、家の東の壁際ちかくにじか植えしたツルバラは、けっこう枝を伸ばして、「支柱を立て増してやらないとな~」なんて思いながら、忙しくて手がまわらなかったのを、数日前やっと、ホームセンターに行って材料を買ってきて、支柱を立てることができました。

それまで、屋根のほうにまで伸び放題だった枝を、支柱に誘引して、これでなんとかツルバラっぽくまとまりのある状態になりました。

(NHK出版”趣味の園芸  新しいバラの方程式”4月号イラスト)

 

”超むずかしい!まちがいさがし 動物編”

最初、このイラストの仕事依頼の電話があったとき、「水彩画のイラストで ”まちがいさがし”描くのは、ちょっとむずかしいですね~」と返事して、断ろうとしたんですけどね…

「リアルな水彩画のタッチで ”まちがいさがし”の本を作るというのは、おもしろいと思うんですよ」と編集のTさんが言うわけです。

出版社は学研ということで、図鑑の大手であり、その流れで  ”図鑑まちがいさがし”の本をやってみよう、ということになったようです。

「線画やデータ上でだったら出来るでしょうけど、私はアナログなイラストレターだし、水彩画でまちがいさがしの絵というのはね~できないんじゃないかな~」なんて、私が言ってると、「まちがいの部分は、そこだけ別版で描いてもらって、あとはデザイナーさんで加工してもらいますから!」なんて言われて_。

「う~ん、だいじょうぶかな~」なんて、それでもしぶっていると、「角さんの水彩画のタッチがいいって、編集部としては、ぜひとも!と思ってるんですよ」なんてことまで言われると、私も「いや~、そんなに言ってもらってるんなら、がんばってみましょうか…」なんていうことで、引き受けたのが、今年の初めくらいでしたけど、まあ、やってみると、なんとかなるもんですね。

これまでにない  ”まちがいさがし”の本になったんじゃないかと。

よろしかったら、ぜひお手にとって見ていただければ、と思います。

(「学研の図鑑LIVE  超むずかしい!まちがいさがし動物編 」発行学研プラス)

”木綿のハンカチーフ”

太田裕美さんの曲に”木綿のハンカチーフ”というのがありますけど、私が若いころ大ヒットしたんですよね。

作詞が松本隆さん、作曲が筒美京平さんという、盤石(ばんじゃく)の布陣です。

メロディはすばらしいですね。歌詞は(すみませんが)、私はちょっとね…。

地方からひと旗あげに都会に行った男性が、田舎にいる恋人に手紙を書き、恋人からもたよりが届くという内容で、曲として聴くには、すばらしいんですけど、何といいますか、実際にこんな女性がいたらと想像すると、私はちょっと、というかんじですかね(申し訳ないことですが)。

男性が恋人に、なにか贈ろうと「はなやいだ街で 君への贈りものを探すつもりだ~」と言えば、この女性は、「いいえ、あなた、欲しいものはないのよ~都会の絵具に染まらないで帰って~」と返事し、また男性が「スーツを着たぼくの写真」を送ると、女性は「いいえ、草にねころぶあなたが好きだった」と返事して、男性から来たたよりに、この女性はとにかくすべてを「いいえ」と否定形で返すといった具合で…。

きっと、この2人の間は、うまくいかないだろうな~なんて思っていると、案の定「恋人よ、君を忘れて、変わってくぼくを許して…」となり、結局、女性は「(それなら)最後の~贈りものをねだるわ。~涙ふく木綿のハンカチをください」となるという結末です。

まあ、この女性は「いじらしい」ということで、こんな歌詞になったんでしょうが、せっかく志(こころざし)をもって上京した男に、たよりのたびに否定形の返事ばかりするというのは、私は、ちょっとね~と思ってしまいましたね。

まあ、さびしい気持ちはわかるんですけど、ここはひとつ、私としましては、彼女にノーマン・ビンセント・ピールの言葉を贈りたいですね。「目の前の事実がどんなに困難で絶望的だとしても、それは重要ではない。重要なのは、その事実に対する私たちの姿勢だ。なぜなら、ポジティブな思いを持っていれば、その事実を変えられるから」と。

こういうふうに思ってがんばって、積極的な考え方を習慣にしていれば、あるいはこの女性には恋人との新しい道がひらけて行ったかもしれない、てなことを思ったようの次第です(まあ、ヤボな意見ではありますがね)。