ガンゴトリーさんのこと

バグワン・シュリ・ラジニーシのもとで修業した女性、ガンゴトリーさんは以前、ある画廊(B1にある)の階段を上っている途中で、急に気分が悪くなり、そこにうずくまっていると、自分の意識が体から抜けてスウーと上にのぼり、建物の天井のところで止まったことがあったそうです。

その画廊には何人かのお客さんがいて、ガンゴトリーさんはその人たちを天井から見おろしていたそうです。

しばらくそのままでいると、自分の横に光る何かがいるのに気づいたということです。

ガンゴトリーさんはその存在に「私は下の体にもどれますか?」と聞いたところ、その存在は「だいじょうぶ、もどれますよ」と答えてくれたということです。しばらくやりとりをしていると、下にいる人たちが、上を見上げて「おい、天井から人の声がするぞ!」と騒ぎはじめたそうです。

そのときガンゴトリーさんは光る存在から無言のメッセージを受け「あなたが身体から出て、私と会話しているということは、人に知られるべきではありません」と告げられたそうです。

しばらくするとガンゴトリーさんは無事に体にもどり、自分の体内に血液がめぐり始めたのを感じ、うずくまっていた階段で立ち上がり、その画廊をあとにしたということでした。

(「緑の庭」油絵です)

幽体離脱しかけたこと

私は以前、瞑想していたとき体から自分自身が抜け出しそうになったことがありました。

部屋であお向けになり、呼吸法から始めて、自分の体を内観してゆくといものでしたが、内観が眉間(みけん)の中心に来たとき、そこに光の環(わ)が見えてきました。

それは私に近づき、私を過ぎて行き、するとまた次の光の環が近づいて来て…しばらくそれがくり返された後、その間隔が短かくなり、光が頂点に達したとき背骨の下部から何かがグワーンと上がって来て、気がつくと私は銀白色の広大な空間に浮かんでました。

やがて自分の体が、まるで頭を中心に鉄棒の大車輪のようにグルグルまわっている奇妙な感覚にとらわれ、しばらくしてそれはおさまったのですが、後日、ある女性にそのことを話したら、「あ~角さんは魂が重いのね。普通ならそこで幽体離脱するんだけどね」と言われました。

その女性は、インドのマスター、バグワン・シュリ・ラジニーシのところで修行して、サニアシンというものになり、マスターから「ガンゴトリー」という名前をもらった人で、もちろん日本人ですが、ガンゴトリーとはインダス川の源流という意味だそうです。

ふしぎで奇妙な人物でしたが、私はなんだか気が合いました。

(鉛筆画です)

アンドレ・ブルトン著「ナジャ」

フランスの詩人にして著述家で、シュルレアリスムの提唱者アンドレ・ブルトンの著作「ナジャ」(人文書院刊)の主人公、実在の女性であるナジャは、一種の幻視者、ひらたく言えば超能力者だろうと私は思います。

私がこの本を初めて読んだ20歳のころ、私はほとんど唯物論的な頭しかなかったので、この中で語られるナジャの奇妙なふるまいにとまどい、その背後に存在しているかも知れない文学的、芸術的な迷宮に、なんともふしぎな印象を持ったものでした。

ブルトンによればナジャは、”私はいまだかつてこんな眼を見たことがなかった”女性で、パリの街を歩いていたとき、”この未知の女に言葉をかけて”みたことから、ストーリーが始まります。

ある夜、ナジャは街路を歩いていた時、ブルトンに対して「ほら、あそこのあの窓、見える?~あの窓、いまは黒いわね。でもよく見てるのよ。もう1分もたつと、明かりがつくの。あの窓は赤くなるの」。と話しかけ、”1分がたつ。その窓に明かりがつく。はたして、そこに赤いカーテンが見える”となります。

後年、私はこのナジャと似(に)たような、奇妙な人物に何度か会ったことがあり、そのことから、ナジャのような人は、時としてふとした拍子(ひょうし)に、人の人生に出現することがあるのだと思っています。

ブルトンは一時、ナジャと奇妙な恋に落ちたのでしょう。”そこにいるのは誰なのか?ナジャ、君なのか?~私は君の言うことが聞こえない。そこにいるのは誰か?私ひとりなのか?これは私自身なのか?”

今となっては、私にとってこの著作は、20世紀初頭の奇妙で美しい夢のようなものと感じられ、若いころの私がひたっていたシュルレアリスムの王国の香りのする、遠くなつかしい思い出のように感じられてしまいます。

(ナジャ作「恋人たちの花」模写)

 

 

絵を奉納したこと

「日月神示」の著者で画家の岡本天明さんの直弟子であった、小泉九十(こと)先生という霊能者がいらっしゃいました。

私は、現在AT研究所というところの所長をしている中島さんに連れられて、20代のころ、この小泉先生のご自宅に何度かおじゃまさせていただきました。

下町の古い民家の8帖くらいの部屋に拝殿があって、そこで私は先生からいろいろお話しをしていただきました。

先生は表だってはまったく活動されておらず、縁あってお会いする人だけの相談を受け、アドバイスをされているということでした。

「今度おいでになるとき、この拝殿に飾る絵を描いてきてください」。小泉先生はそう言われ、私が「どのような絵を描けばよいでしょう?」とおたずねしたところ、「あなたにお任せします」と言われました。私は考えた末に、架空(かくう)の神社の絵を描くことにしました。

10日ほどで絵は完成しましたが、私はなぜか神社につきものの千木(ちぎ)と鰹木(かつおぎ)を描きませんでした。

後日、持参した絵をごらんになって小泉先生は、「これからの時代の新しい神社ですね」と言われました。そのときは何のことだかわかりませんでしたが、私はずいぶん後になって、新しく造られたある神社が、同じような形であるのを発見しました。

モーリス・ドニ「緑の樹のある風景」

小説家サマセット・モームの「月と六ペンス」のモデルとされる画家、ポール・ゴーギャンが、友人に宛(あ)てた手紙のなかで、こう書いているそうです。「あまり自然に即して描いてはいけない。芸術とはひとつの抽象なのだ。自然を前に夢見つつ、自然から抽象を取り出しなさい」。

このゴーギャンの指導によって、若き画家セリュジエが描いた3号の小品「愛の森」が、タリズマン(護符)と呼ばれ、ナビ派という象徴主義的絵画の流れを誕生させることになりました。

フランスの画家、モーリス・ドニもそんな流れの中にいる画家のひとりで、私はこのドニの描いた「緑の樹のある風景」という油絵がたいへん気にいっています。

ふしぎな調和的間隔で立ちならぶ緑の樹々と、その間に配置された白い衣装の巡礼者たち。そこから少し離れた場所にいる天使が、巡礼者のひとりに、天界の箴言(しんげん)を伝える、というこの絵は、なんとも言えない神秘と安らぎに満ちた象徴主義的絵画の傑作です。

モーリス・ドニが生涯この絵を手離さず、自分の書斎に飾っていたというのも、うなずける話しです。

(「緑の樹のある風景」 水彩による模写です)

ラムサ 真・聖なる予言

この本によると、今から3万5千年前、地球上にはアトランティスという大陸があり、そこには現代よりも高度な文明があったということですが、その大陸は科学技術の濫用(らんよう)によって引きおこされた大災害で徐々(じょじょ)に海に沈んでいったということです。

そのアトランティスの「最後の百年」期に、レムリアと呼ばれる地から来た巡礼団の子として生まれ、アトランティス人から差別され、「無知と絶望の中に育った」ラムサと呼ばれる存在が、J・Z・ナイトという女性をチャネル(媒体)として語ったのが、この”ラムサ 真・聖なる予言”(角川春樹事務所刊)です。

ラムサはアトランティス人の迫害の中で立ち上がり、「未知の神」より「この剣を持って自分を征服せよ」と与えられた巨大な剣をかざして、迫害者に挑(いど)み、レムリア人解放の主となった者、ヒンドゥー教の人々が「偉大なるラム」と呼ぶ存在だと自己紹介しています。

ラムサは後年、「未知の神」を求めて「自分の身体を離れる術(すべ)をマスター」し、やがて多くの臣民の見守る中、「女の子宮、男の種子から生まれた者の中で、はじめてこの地上界から高次元に昇華した」ということです。

その状態のことをラムサは「風になった」と表現し、それは「風が象徴していた理想」の状態のことだと語っています。

「私は、風を司(つかさど)る存在となっている。すべてにあまねく存在し、すべての生命とひとつである自由な本質、目に見えない本質そのものになったからだ。この本質となったときに、私は「未知の神」のことがわかった~私が知りたかったのはこれだった。自分の内に答えを見つけ、その答えが私をさらに壮大な叡智(えいち)へと導いてくれたのである」と。

このラムサとは少しちがいますが、旧約聖書に出てくるエノクという人は、死亡したという記述がなく「天に上げられた」とだけ書かれていますが、世界にはなんともふしぎな方々がおられたものです。

(「福音を告げる精霊」幻想絵画販売所より)

アイヌ神謡集

アイヌの豪族ハエプト翁の孫娘として生まれた知里幸恵(ちりゆきえ)さんが、アイヌに伝わる神謡(しんよう)を日本語に口語訳したものを、1923年に刊行したのが「アイヌ神謡集」です。

「銀の滴(しずく)降(ふ)る降るまわりに、金の滴(しずく)降る降るまわりに」という謡(うた)を歌いながら、ふくろうの神様である私が飛んでいると、子どもらが番(つが)えた金の小矢に射られて私は落ち…と、ふくろうの神様が自(みずか)ら語る物語りや、キツネの神様が「軽い足どりで腰やわらかにパウ、パウ、と叫びながら」、国の岬(みさき)、神の岬で舟をこぐオキキリムイたちをからかう物語りなど、その文章は独特で、私はそれを読むと、自分の中に眠っている記憶、人と神様とが混然となって生きていた太古の記憶に触れられたような思いにとらわれて、なんとも言えないふしぎな気分になります。

このほかにも蛙(かえる)が自ら歌った謡(うた)「トーロロ、ハンロク ハンロク」や、小オキキリムイが自ら歌った謡など、奇妙で美しく幻想的な神謡が、いくつもいくつも語られています。

(知里幸恵さん)

ダニエル・ビダル

私が10代だったころ、フランス人の歌手で、ダニエル・ビダルという女性がいたのですが、中1のころ、私はその人に夢中でした。

「天使のらくがき」という曲がヒットしていて、私は本気でダニエル・ビダルと付き合おうと考え、フランス語を話せるようになるために、NHKの教育テレビ(今のEテレ)でやっていたフランス語講座を欠かさず見てました。本屋さんで、NHKのテキストも買いました。

結局(けっきょく)、フランス語は身につきませんでしたが、私は彼女を油絵で描いて、しかもラファエロ風の傑作にしようと決心しました。古典的な油絵技法を正式に習ったことはなく、描き方はすべて自己流でしたが、そんなことは気にしませんでした。

油絵具の特性も、まだ理解してなかったので、絵具が乾かないうちに、その上に加筆して、下の絵具が動いてしまい、えらいことになりかけたりもしました。

それでも私はなんとか「ダニエル・ビダル像」を描き上げ、その製作の途上で、油絵の技術をいろいろ身につけていったように思います。

「天使のらくがき」を聴くと、今でもあの時、夜おそくまで部屋で油絵具と格闘していた、せっぱつまった気分がなつかしく思いだされます。

(「ダニエル・ビダル像」部分)

ヴェネチアのカーニバル

イタリアのヴェネチアで2月初旬に開催される仮面のカーニバルは全身にトリ肌が立つほど好きですね。

夢のように幻想的な世界です。仮装した人たちが付ける仮面は、優美で、高貴で、秘密めいていて、サーカスの道化師のようになにか裏がありそうで、うつろな表情の中に冴(さ)えわたる美的センスが満ち満ちていて、私はうっとりして、こんな世界があるなら、一生そこで暮らしてみたい、と思うほどです。

ヴェネチアは行ったことないですけど、行ったら帰ってこないでしょうね。トーマス・マンは小説「ベニスに死す」で、太陽の照りつけるヴェネチアの白昼夢を描きましたが、カーニバルとなると、やはり夜、それも夜空に半月のかかる神秘と幻想の夜です。

広場の闇の中には魔物もひそんでいようという、メルヘンチックな不安もかくし味に、2週間ほど続くその祭典は、美しくも予感に満ちていて、蠱惑的(こわくてき)です。

でも実際に行くと、現実的なあれやこれやが見えてくるんでしょうね。優美な幻想が失望に変わるのはおそろしいです。

だから私は行かないほうがいいのかも知れませんね。

(ユーキャン学び出版刊「旅するめいろ」より”ヴェネチア”です)

「死ぬ瞬間」と死後の生

E・キューブラー・ロス博士は1926年、スイスに生まれ、チューリッヒ大学で学位を得た精神科医で、アメリカに渡った後、大学病院に勤務するかたわら「死とその過程」についてのセミナーを始めます。

ロス博士は最初「死後の生」については、そんなものがあるとは思っていなかったようですが、死が間近かな患者に多く接するうちに「死後の生」はあるのではないか、と思うようになり、やがて臨死体験の研究を始め、博士自身の神秘的な数々の体験などによって、その確信を得ていきます。

その結果、博士は宗教や信仰に根ざさない医師としての立場から、人の霊性についてのセミナーを開催しながら、多くの本を著(あらわ)しました。その一冊が”「死ぬ瞬間」と死後の生”です。

それによると「肉体をもったこの人生は、自分の存在全体のほんの一部にすぎない」のであり、「人生は学校であり~試験や試練をくぐりぬけ~試験に受かったとき、私たちは卒業を許され、もといた家に帰る」のだと語っています。

ロス博士は2004年に78歳で亡くなっていますが、おそらくは「もといた家」に無事に帰り着き、今ごろはさらなる発展をめざす「死後の生」を歩んでいるんじゃないかと、私は思います。

(「薄明りの中の精霊」油絵です)