衣服のシワ

衣服のヒダというのは美しいもんです。

衣服に限らず布地のシワ、その質感の表現は、絵を描くうえで本当に重要なポイントとなりますね。

そこがちゃんと描けているかどうかで、絵全体の良し悪しがかなりの部分で決まってしまいますからね。

本当にリアルに描く場合はもちろんのこと、写実からはずれた絵でも、布の表現のリアリティは重要なポイントです。

衣服のシワは、同じ方向にいくつも同じように寄るかというと、必ずしもそういうことではなく、腕を通した服の上腕部のシワや、折り曲げた足のヒザ部分にできるシワなどどれも複雑な構造になっていて、見ていて飽きませんね。

その陰影や、光の加減によって微妙に変化する色あいも、なんとも言えない味わいがあります。

ここがうまく描けると、じつに気分いいです。そして、そのためには実物を見て描くのが一番ですけど、イラストの仕事などで、人物がいっぱい出てくる絵なんかの場合、なかなかその衣服全部を実物を見て描くというのはむずかしいですから、自分の経験から、シワの寄りぐあいを想像で描くなんてことがままありますけど、それはやっぱり実物を見て描いたリアリティにはおよびませんね。

(ダリの絵の部分。現物を見て描いた絵は、やっぱりすごみがあります)

車の中の音楽

以前、車の中でかけるBGMにフランク・シナトラをCDで流してる、て書きましたけど、今はCDは何も入ってないんですね。

古い車なので、CD入れるとこの調子が今いちで、また取り出せなくなったらいけないので、CDからハードディスクに録音したら、すぐ取り出すようにしてます。

いまHDDに入っている曲は、シナトラの他に、ディオンヌ・ワーイック( ”恋よさようなら”とかね、いい曲あります)、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリクス、CCR、山下達郎さん、それから1972年のビルボードヒット集なんてCDも入れてて、これにはキャット・スティーブンスの ”Morning  has  broken ”(邦題は ”雨にぬれた朝”でしたかね)や、フィフス・ディメンションの ”輝く星座”などが入ってて、懐かしいです。他にはバッハの ”チェンバロ協奏曲1~5番”なんてのも入れてますね。

私の場合、あまり車で長距離を走らないことが多いので、たとえば、うちのにたのまれて近所のスーパーに買いもの行くときなんか、せっかくいい曲かかってるのに、もう駐車場に着いたなんてことがしょっちゅうです。

そんなときは、「この曲、終わるまでは車に乗ってよう」なんてね、そういうこともありますね。

そんなことしてるから、私が買いもの行く時間は、そのぶん余計にかかったりしますね。

臨死体験

ジャーナリストの立花隆さんが臨死体験について書かれた著書の中で、じつは同じものじゃないかという説もある「幻覚剤による体験と臨死体験」をくらべて、「一口でいうと、幻覚剤体験はほとんど精神異常体験に近いのに対し、臨死体験はあくまでも精神正常体験に近いのである」とされてますが、「近い」もなにも、立花さん、臨死体験は正常な精神のもとでの、まったく正常な体験だと思いますよ。

なんてね、臨死体験したこともない私が、かくも断定的にそんなことを言うのはですね、私の中にそれを知っているという感覚がなんとなくあるからなんですね。

「なんで知ってるのか?」と問われれば、「そりゃあ昔、どこか別の世、別の体で体験したことがあるからさ」なんて言うわけですけど、別に明確に覚えてるわけでもないし、証拠があるわけでもないですけどね。

ただ、臨死体験は本当か、それとも死に近づいた脳が作りだす幻覚か、はたまた薬物投与による異常体験か、なんて論争読んでると、「あ~あ、なんだよその水かけ論みたいなのは」と思いますね。

まあ、私は科学者でも医者でも、ジャーナリストでもないですし、宗教家でもないんで、一般人の気楽なかんじで言えますが、「臨死体験、ありゃあ本当です」とね。

「その根拠は?」なんて聞かれれば、「そんなこと、朝になりゃあお天道様が東の空から昇ってくるくらいに、あったりまえのことよ!」って答えますけどね、私は。

寒さと暑さ

「寒いのと暑いの、どっちが苦手ですか?」なんて聞かれてもねえ…。まあ、どっちも苦手ですね。

2つ、別もののようなかんじで比較されますけど、これは結局同じものの両面ですからね。

つまり温度の過剰か不足かということで、暑さが減っていって、減っていって、足りなくなり過ぎたのが寒さで、寒さが減っていって、減っていって、減り過ぎたのが暑さですからね。

でもまあ、あえて言えば寒さのほうがより苦手かな~という気がしますかね。

暑いときは、「あ~暑い暑い」なんて言いながら、全体的に気分は「まあ、どうでもいいや~」なんてかんじで、投げやりでグタ~としてて、ダレてても許される気がしますけど、寒いときは身が縮(ちぢ)みますからね、ダレてるわけにはいきませんから。そんなことしてたらますます寒さがこたえますからね。

そこへいくと暑さは、どこか脳天気な開放的なとこがありますけど、寒さとういのは、どこか深刻なといいますか、内省的なとこがありますね。

だからですかね、ドイツ人は哲学的で、イタリア人は楽天的なのは。まあ、人にもよるんでしょうけどね。

それはともかく、なんでも、やっぱりちょうどいいくらいが一番ですね。

ものごと、どちらにも傾き過ぎない真ん中がいいということでしょう。

春が待ちどおしいですよ。

(室内のアロエにビニールをかけて防寒対策)

ラヴェル ”クープランの墓 ”

ラヴェルのピアノ曲のCDが、CDの山の中から出てきました。

「たしか持ってたはずだけど、どこいったかな~」と思って探してたのが、本棚のうしろに重ねてあるCDの下のほうにありました。

やっぱり掃除はするもんですね。見つかりましたね、サンソン・フランソワの ”ラヴェル:ピアノ曲全集Ⅱ  ”。

この中に”組曲クープランの墓  ”が収録されてるんですよね。

美しい曲です。私は10代の終わりころLPレコードで聴いてましたね。アレクシス・ワイセンベルクのピアノで、A面がムソルグスキーの  ”展覧会の絵 ”で、そのB面に  ”クープランの墓  ”が入ってました。

LPを買ったのは  ”展覧会の絵  ”を聴くためで、私はそのころまだラヴェルやドビュッシーはほとんど聴いてなかったので、そんなことでもなければ、なかなか  ”クープランの墓  ”を聴く機会はなかったでしょうね。

今、こうして聴くと、10代後半のあのころの気分が遠くうっすらとよみがえってきます。

ラヴェルは戦死した知人たちに捧げてこの組曲を作曲したということですが、私にとってはこれは、若かったころの感情や気分がよみがえってくる、ラヴェルの意図とはまったく別の、私だけの思い出の曲になってますね。

UFO見たことないです

その昔、イギリスのロックグループでUFOというのがいましたけどね、ヒット曲に”カモン  エブリバディ ”というのがありましたね。シングルレコード持ってましたね、私は。

えっ?実際にUFOっているのかどうかですか?そんなのいるに決まってますよ。

でも、テレビでよくやってる特番なんかで、UFOの解説してるのはね、ありゃちょっとね…。まあ、失礼になるので、あんまり言いませんが、おもしろがりながら見させていただいてます。

もっとも、すぐ別のチャンネルに変えることが多いですけどね。

まあ、数千億だかなんだかの星があるこの宇宙の中でね、地球にだけ人がいますなんてのは、言ってみれば、腸の中に住んでる細菌の一人が「この世界で知的生命体は我々だけである」なんて言いながら生きてるようなもんだと、私は思いますけどね。

でも、私はUFO見たことないんですよね。

そりゃ、UFO乗ってるほうだってやることいっぱいあるでしょうからね、こっちを面白がらせるためだけに飛んじゃこないと思いますけどね。

でも、芸能人の人とか、特に用事ありそうもないのに、UFO見たという人、結構いますよね。ありゃなんでしょうね。UFOにも暇なのがいるんですかね。広報活動かもしれないですけどね。

あるいは、UFOはそのへんを日常的に飛んでるのに、周波数といいますか波動といいますか、そんなのが合った人にしか見えない、なんてことがあるのかも知れないですよね。まあ、よくわかりません。

それに、こっちはこっちで日々忙しいですからね。目の前に急に出てこられても、まあ、困るっちゃ困りますけどね。

年賀状

「年賀状書かなければ」なんてね、去年の暮れには、そりゃ思ってはいたんですよ。

いたんですけど、結局そのときは書かなかったですね。

そして新年、コンビニに置いてある年賀状の絵柄のいいのを選んで買ってきて、新年のご挨拶を書きました。

本当はね、イラストレーターやってるんですから、自分のイラスト使って、アーティストチックな年賀状作ればいいんでしょうけどね。

以前そういうのを作ってたときに依頼してた築地にあったカード制作会社が店じまいしてしまって、それ以来なんだか力が入らなくなってしまいまして…

パソコンで作ればいいんでしょうが、どうもそういうの苦手なんですよね…。ですから、年賀状お送りしてる皆さん、ぜんぜんイラストレーターっぽくない年賀状を、しかも遅くなってからお届けするということで、ホント申し訳なく思っております。

うちのヤツにも言われてるんですよね、「仕事でイラスト描いてるんだから、年賀状くらいそれっぽいの作りなさいよ!」てね。

そうなんですよ。そんなことわかってますよ。でも、時間もなくてね。

なので、そのぶんメッセージを多く書くようにしました。あと、ネズミの顔描いてワンポイントで入れたりしました。

メールではね、ちゃんと新年のご挨拶送ってますけどね。まあ、そんなかんじですね。

夜食いただきました

正月は餅ばかり食ってました。

60歳過ぎにして、雑煮なら餅(もち)5個は軽く食いますね。具はあんまりいらないです。きざんだユズがあれば、もうそれだけでも大丈夫です。

夕食後は、豆餅を焼いて食べたりします。

近年はほんとに餅好きになりましたね。ですが、さすが正月も4日目を過ぎるくらいになりますと、違ったものも食いたくなってきます。

夜中に小腹がすいたな~なんてときは、もう餅はいいです。

そんなわけで、さっき(23時)は冷やっこ食いましたね。冬ですけどね、冷やっこ気分でしたね。きざみネギとカツブシいっぱいかけてね、いただきました。

「そんな夜遅く食べるなんて」と顔をしかめる御仁(ごじん)もいらっしゃるでしょうが、私は気にしないんですね~、そんな時間でも。

食いたいときが食べるときですね、私の場合。

「不摂生なヤツめ!」なんて顰蹙(ひんしゅく)買っても、平気です。毎日ってわけじゃないですからね。特に胃が不調だってこともありませんから。

そのかわり、朝はバナナヨーグルトです。

「ちょっともたれてるな~」なんて感じのときは、昼過ぎまで何も食べませんね。

そんなんでけっこう健康にやってますね。ありがたいことです。

2020年 初春

そうですね~、小学生のころまでは、私のまわりにあった音楽といえば、歌謡曲や演歌でしたね。昭和30年代ですからね、テレビの歌番組ではだいたいそんなのばっかりやってました。

子どもの私は、ただボーと生きていて、後に好きになるクラシック音楽への感受性は、当時はまだほとんど持ち合わせてなかったですね。

クラシックもそうですが芸術全般に目覚めたのは、元服(げんぷく=14歳くらい)のころからだと思います。

人はだいたいそれくらいのころに、もともとの魂の気質が現(あらわ)れ始めますね。ちょうど自己主張し始めたり、親に反抗し始めるころです。

人間はそれまでは親の影響下で生きているといえますね。「14(歳)までは親の影」と、神道でもそういわれてます。

そして中学生のころから、私の視野に洋楽が一気に入ってきました。そのころ聴き始めたラジオの深夜放送のおかげもあったでしょうね。

PPM、キャット・スティーブンス、レオン・ラッセル、ストーンズ、ビートルズ、ツェッペリン、EL&Pにクリムゾン…、絵画ではダリも、エルンストも、キリコも、デルボーも、まだみんな生きてました。

つまり私にとって、世界は胸おどるような、キラ星のごとき芸術に満ち満ちてましたね。

それらは私にとって、単なる音楽や絵ではなくて、どこか崇高な礼拝すべきもの、つまり宗教に似たものでした。

あの当時、ジミー・ペイジや、ロバート・フリップ、ダリやマグリッドは私にとって、神々だったといえますね。

でも、今ではそれらはもう私の神々ではなくなっています。「では、あなたにとって神とは?」なんて問われると、そうですね~、今の私なら「定義によって答えは様々です」と答えるでしょうね。

さて、1月1日は出雲大社美作分院に初詣に行きました。よいおみくじをいただきました。

今年が皆様にとりまして、よい年でありまうように。