絵(油絵)

趣味はなんですか?と聞かれると、そうですね~、ゴルフもやらないし、旅行とかもしないし、「特にないです」と答えてしまいますね。

本当は「絵、描いてます」と言えばいいんでしょうけど、仕事でイラスト描いているのに、その余暇に絵を描いてるなんて、タクシーの運転手がオフのときにドライブしてます、なんてかんじで、まあ、いけないわけじゃないですけど、「それじゃ、仕事の延長じゃねえか」なんて思われそうで、、「他にやること、なんにもないのかよ」的なイメージを持たれそうで、どうも口ごもりますね。

それに絵描くのは別に趣味でもないですからね。

まあ、描かなくても生きて行くのに支障はないですし、とりたててそれが何かの役に立つわけでもないんですけど、自分の中にある、よくわからないあこがれのようなものを、どうにかして描こうというような、衝動といいますか、悪あがきみたいなもんですね。

まあ、究極の自己満足、思い込みの持って行き場所、存在過程でのクセ、私の実用的でない部分のとりまとめ、といったようなことですかね、絵を描くというのはね、私にとって。

(下地のジェッソ塗ったキャンバス)

” 桃源記 ”

最近ではマンガはもうほとんど見ませんが、今でも印象に残っているのは、諸星大二郎先生の描いた” 桃源記 ”ですね。

若いころ住んでた杉並区、阿佐ヶ谷の定食屋に置いてあった週刊ヤングジャンプに載ってたと記憶してます。

中国の魏晋南北朝時代の詩人で、“ 帰去来辞 ”、”形影神 ”などの詩が伝えられている陶淵明(とうえんめい)の詩、” 桃花源の記”をもとにしたもので、江南の川上で船旅をする五柳(ごりゅう)と船頭の潜(せん)、途中から舟に乗ってきた軍人、陶元亮(とうげんりょう)の3人が桃源郷に迷いこみ、たどり着いた不老長寿のふしぎな村での滞在を描いたものですが、村の奥には谷があり、そこに棲む「神」が長寿と繁栄をこの村にもたらすと思っていたところ、ある日その谷に向かった3人の前にあらわれた「神」は、濁った谷間の「気」が変じたものに過ぎないということが、それとの問答であばかれます。

すると「神」は消え去り、いつしか桃源郷の村も、夢のように消えてしまいます。

帰路についた夕暮れのなか、五柳は、それまで共にいた船頭と元亮が、沈みゆく西日によって作り出された自身の影にしかすぎないこと知ってガク然とする、というくだりが印象的で、私は最近、この” 桃源記”の掲載された文庫本を見つけて、さっそく購入しました。

(集英社文庫「諸星大二郎自選短編集 彼方より」” 桃源記”)

 

齊藤一人さん再び

そういえば以前、納税額日本一を続けた銀座マルカンの社長、斎藤一人さんがユーチューブでいいこと言ってたな~、なんてフト思って…、斎藤さんがまだ幼稚園行ってたころ、可愛がっていたネコが死んで、その時に斎藤さんは人生で最も過酷な思いをして、「人は死んだらどうなるんだろう?」と悩んでいて、すると、なんと夜な夜な光の玉が出現(!)、人の死後のこと、人生のことなど、いろいろ教えてくれたって話しですけど、その中で「光の玉が教えてくれたことを、今日は4つ話します」と、たしか言ってたんですね。

そのうち2つは思い出せたんですけど、残りはなんだったかな~と…。

聴いたときは、「いや~、いい話しだ~」なんて思ってたのに、1年もすると、その内容を半分しか思い出せないとは、こりゃ自分の脳ミソもヤワくなったもんだな、なんて思って、今日ひさびさにユーチューブで聴いてみました。

齊藤さんのお話しは、この他にもいっぱい上がっていて、ずっと聴いていると正直なところ少々食傷気味になることもあって、しばらく遠ざかっていたんですけど、こうして聴いてみると、この「斎藤一人 光の玉が教えてくれた今日から幸せになる千年たってもいい話し」は、じつにいい話しだな~と思い、このふしぎな人物のことを、あらためて再認識したと、まあそんなかんじでしたね。

(斎藤一人 しあわせを招くねこ)

川で泳ぐ

はるかな昔の夏、川で泳いでましたね。

水中に潜って、息の続くかぎり進んで行き、グイと上昇して水面から顔を出すと、暑い夏の空には入道雲がわき上がっていて、川べりの木からはミーンミーンとセミの声、ピタリと風はやみ、鼻の奥に少し残った水がツーンとして、独特の川のにおいを感じて、ああ、そういえば去年の夏の川でも、同じように鼻の奥がツーンとなって、同じ川のにおいがしたな、と思ったりして…。

川で泳ぐことの思い出は、今の子どもにはほとんどないんでしょうね。

今の子どもの夏は、プールと消毒液のにおいなんですかね、思い出といえば。

うちの近所でも最近は川で泳ぐ子どもはいませんね。田舎ですけど、川もそんなにきれいじゃないし、”遊泳禁止 ”ってなってますからね。

でも、たとえば四国の清流、四万十川のようなところにわざわざ出かけて行って泳ぐというのは違いますね。

そういうふうに意図的に自然を求めて出かけて行くというんじゃないんですね、私の中にある「川で泳ぐ」というのは。

普通にあるそこの川で泳いで、それがごくあたりまえの日常だったという、今ではもう体験することができない昭和な記憶の中にあるもの、これが私にとっての「川で泳ぐ」ということなんですね。

(ラーソンの水彩画。これは外国ですが、まあ、この絵の雰囲気の日本版が、私の思う「川で泳ぐ」です)

イラストの売り込み その2

ずいぶん昔ですけどね、出版社にイラストの売り込みに行くとき、最初はイラストの作品自体がほとんどなかったので、油絵作品のコピーなんかを持参してた覚えがありますね。

今、思うと、使えるシロモノじゃなかったですね。

しばらくすると、実用書や雑誌に掲載されたイラストが貯まってきて、それをA4の紙に切り貼りして、いろいろタッチの違う作品をそろえた作品資料を作りました。

はじめのうちは、それをコピーして茶封筒に入れて、編集の人に渡してましたが、そのうち、もっと見栄え良くしよう、ということで、あらゆるタッチのコピーをクリアファイルに入れて、表紙と背表紙とに「角愼作イラストファイル」と大きくタイトル書きして、なるべく目立つように工夫しましたね。

見てくれた編集の人が「他の部署にもまわしとくよ」なんて言ってくれたりして、「よーし、仕事どんどん来るぞ!」て思ってましたけど、そんなにすぐに仕事につながるなんてことは、あんまりなかったですね。

でも、「車の営業マンなんて、100軒まわって、発注がひとつとれるかどうかだ」なんて話しをどこかで聞きかじって、それに較べればイラストレーターなんかまだ楽なほうだ、と思ってましたね。

中には、2~3年もたって、ファイル渡してた版元さんから仕事の依頼があったりして、やっぱりファイル持参の営業は大切だな、と思ったものでしたね。

(「月刊学校給食」9月号 完成版)

イラストの売り込み その1

その昔、イラストレーター始めたばかりのころ、出版社への売り込みはいっぱいやりましたね。

東京都内の出版社で、行ってないところはないんじゃないかというくらい、大手から小規模の版元さんまで、本当たくさんまわりました。

まず、その前に本屋さんに行って、いろんな本をパラパラめくって、ここはイラストの需要がありそうだなと思ったら、奥付に載ってる電話番号をメモして、住所もメモして、本のタイトルとイラストの傾向も書いて、家に帰るとメモの番号に電話しました。

営業は得意じゃあなかったですが、そんなことは言ってられないですからね。

編集部につないでもらったら、自分がイラストレーターやってること、「御社の〇〇という書籍のイラストを拝見しまして、私のイラスト見て頂けたらと思い、お電話させて頂きました」と伝え、そうすると、だいたい「じゃあ作品持って来てよ」ということになって、訪問の日時、場所の詳細(今みたいにスマホで場所検索なんてできなかったですから、最寄りの駅からの道順)などを聞いてメモって、当日、さあ出陣となるワケです。

多いときは1日、3~4社くらい行ってましたね。地下鉄の階段、上がったり降りたり、出版社までの道を急ぎ足で歩いたり、終わって家に帰り着くころには、もうヘトヘトでしたね。

(「月刊学校給食」9月号表紙、制作途中のイラスト)

夏の朝

朝、新聞を取りに行ってると、庭の木の枝が伸びてるのに気づいて、剪定鋏を持って来て切りました。

高いところもなんとか背伸びして切りました。

そうしていると、隣の木と、その隣の木も枝の伸びてるのが目立ったので、それも刈りこみました。

新聞を取りに行くだけのつもりが、汗びっしょりになったので、外にある水道で手と顔を洗っていると、そこから見える木陰に停めてある車に、落葉と鳥のフンと、木の実だか種だかの黒い小さなツブツブがいくつも付いているのに気づき、バケツに水くんで、車を洗いました。

バケツの水を捨ててると、庭の雑草が気になってきて、目につくものを抜いてたら、頭上から木の葉がヒラリと落ちてきて、秋じゃなくても、こんな夏の朝でも、少しくらいの落葉はあるものだなあ~と、これが車の屋根に落ちたり、なんだかよくわからない木の実だか種だかの、黒い小さなツブツブが落ちてきたりもするので、車を別の場所に移動させようと考えて、そうしました。

新聞を取り込むだけのつもりが、朝から次々とやることがあって、忙しいです。

(刈りこんだ庭木)

血圧、測ったことないです

私くらいの年齢で、「血圧、測ったことないです」なんて言うと、あきれられますね。ちょっとおバカな人に見られます。

でも、私から見ると「最近、血圧高めで困るよ」なんて言うのは、「仕事、忙しくて寝不足だよ」と言ってるのと同じで、どこか「困ってんだよな~オレ」自慢みたいに感じられなくもないですが、まあ、私はそもそも自分の血圧、知らないですね。

でも、厚生省による血圧の正常値というのは、1987年には180/100mmHgだったのが、2000年には140/90mmHg(60代)に変更され、2004年には130/85mmHg(64才以下)と、何度も変わってるらしいですよ。

まあ、そうなると自動的に高血圧の人が増えるわけで、血圧の降圧剤が多く売れて、製薬会社にとっては好都合なんでしょうけどね。

最初に血圧の基準値を下げたのはWHO(世界保健機関)だそうで、WHOの予算の7割は製薬会社に依存してる、なんて記事を読んだ覚えがありますが…。

それはともかくとして、私は自己流の血圧正常化対策としましては、自主トレのとき、スクワットのラストはスピード上げて、さらにジャンピングスクワットを入れるというのをやってます。

息も切れ切れになりますけど、「息が切れるようなことを常にやってれば、血圧なんていつだって正常だ」というのが、私の勝手な持論です。

健康診断に行ったことないです

私は健康診断、行ったことないんですね。

血圧を測ったことも、30代のころ一度くらいですかね。それ以外はないです。

では、身体の健康に無頓着かというと、そんなことないですね。

私は子供のころムチャクチャ病弱で、よく学校を休んでいたので、その当時から強く健康な身体というものには、いつも憧れてましたからね。

ただ、健康な身体になるというのと、健康診断に行くというのは直接は関係ないですからね。

しょっちゅう健康診断に行ってたら健康になるというのなら行きますが、自分の身体の状態はわかるでしょうが、それだけで健康増進になるということはないでしょうからね。

「じゃあ、健康増進につながること、何かやってるのか?」と尋ねられれば、そうですね、ウォーキングと自主トレくらいですかね。

ウォーキングは始めてまだ数年ですが、自主トレは、記録付けてるもので24年になりますね。

運動のメニューは体の状態に合わせてたまに変えることもありますが、柔軟、腕立て、スクワット、腹筋、背筋、ちょっとキツめの有酸素運動なんかがメインです。

毎日じゃなく、なか2日あけてやってます。

あとは、納豆、トマト、タマネギなんかを常に食ってるくらいですかね。

でもまあ、私は行きませんけど、皆さんはね、健康診断、行くのがいいかもしれませんけどね。

 

夏の駐車スペース

いや~、梅雨も明けて、暑さ本番ですね~。

殺人的な暑さですけど、夏は暑いもんですからね、これでいいのかも知れませんけどね。

まあ、熱中症にはくれぐれもご注意ください。

うちは田舎なんで、車を駐車してるのは庭先で、特に駐車専用の場所じゃないので、野ざらしなんですけど、直射日光で焼かれた車内は、強烈な暑さで、玉子だったら半熟くらいにはなるんじゃないか、というくらいの温度になってます。

そのため、木の影などに車を停めておくんですが、しばらくすると太陽が移動して、そこは木陰でもなんでもなくなっているので、そうすると、新しく木陰になった場所に車を移動させるようにしてます。

日に3回くらい変えますね。

そうじゃないと、夕方、「アイスでも買ってくるか」となったとき、いくらクーラー入れても、それまで車内にこもった熱気によってシートが熱くなっていて、買ったアイスが家に帰るまでに溶けかけている、なんてことになりますからね。

なので、真夏の今のころ、うちの車は、朝はあっち、昼は別のとこ、夕方にはこっち、というように、木陰を選んであっちこっち駐車する場所が変わるという、忙しいことになってます。

ここも、もう木陰じゃなくなってます