飛行すること

川沿いの道をウオーキングしていると時々、シラサギが飛んでいるのを見ます。先日もでっかいのが1羽ゆうゆうと飛んでました。

よくよく考えてみると、鳥というのは、よくあんなに飛べるもんだなと、ふしぎな気がします。

昔の映画で ”猿の惑星 ”というのがあって、宇宙飛行士が猿の支配する星に不時着して、とらわれの身となってるとき、議論の中で、猿の科学者が「どうしたって空なんか飛べるわけがない」みたいなことを言ったのに対して、宇宙飛行士は紙を折って紙飛行機を作って飛ばし、飛行することの可能性を示してみせる、なんて場面がありましたが、私もどっちかと言えば、あの猿の科学者と同じで、空気より重い飛行機が飛べるということに、充分に納得しているというわけじゃないですね。

あんな鉄のカタマリが空中に浮き上がるというのは、信頼のおける現象のようには思ってなくて、だから飛行機に乗るようなときは、心のどこかに墜落する可能性だってあるものに身をゆだねるのだ、という一種決死の覚悟を胸にいだいて、密かに緊張していますね。

でも、夢の中では何度か飛んだことがあります。飛行機に乗るんじゃなくて、この身ひとつでふわっと浮き上がりました。

コツとしましては、大体つぎのようになりますね。体を地面に倒して行き、倒れることを恐れずに手をつかないでいると、地面すれすれで体はフワッと浮き上がり、腹ばいの状態のまま空中を進んで行くことができるという、まあそんな感じですね。

(PHP刊 「身近な単位がわかる絵事典」に描いたイラスト)

 

” DISTANCE”

宇多田ヒカルという人はなんですね、親子3代の歌うたいですね。

おばあさんは浪曲師の流しとして全国をまわり、お母さんは言わずと知れた昭和歌謡の歌姫、藤圭子さん。

そして、その子どもが宇多田ヒカルということで、歌をうたうために生まれてきたと言ってもいいくらいの人ですね。

歌でヒカリを与え、歌でヒカル人となるという、宇多田ヒカルという名前も、まさにそのことをあらわしているようなかんじです。

バグワン・シュリ・ラジニーシだったか誰だったかが、カースト制度というのは本来は、代々(だいだい)同じ仕事をすることで、魂に蓄積された能力が極まってゆき、高いレベルでの研鑽が可能となる、そのための制度だったのが、時代を経ることで硬直した悪しき制度となってしまった、なんて意味のことを言ってましたが、なるほど、ひとつのことを何代にもわたって続けると、その家系にはおどろくべき高みを体現する天才が現われるということがあるのかも知れません。

常に横道にそれることなく、親、子、次の代と、同じ道で研鑽に励むというのは、けっこうむずかしいことではあるでしょうけどね。

宇多田ヒカルさんの曲は、デビュー曲 ” Automatic ”もすばらしいですが、私はセカンドアルバム ”Distance ”の中の曲 ”DISTANCE ”が好きですね。

今はまだ夏は少し先ですが、この曲はいつ聴いても夏の海辺を走る車の中から、遠くに広がる水平線を見ているような、そこに光る波のきらめきを感じさせてくれるような、そんな曲ですね。

(  ” Distance” CD)

化粧

私はちょっと変わってまして、化粧した女性のことを心底(しんそこ)美しいと思ったことはないんですね。

まあ、私自身が化粧するというんじゃないし、美しいと思うか思わないかは、好みの問題なので、それについてあれこれ言うつもりはないんですけど、私としましては、化粧してる女性を見て、心の底から「いいな~」と感じたことは、正直言ってないですね。少数派でしょうけどね。

社会的慣習で、ほとんどの女性は大人になると化粧するし、それを見慣れているので、まあ、一般的に女性は化粧することが常識となっているんでしょうけど、私は女性は素(す)のままが一番美しいと感じますね。

特に、若い女の子が成人して、会社なんかに入ると、急にバッチリ化粧したのなんか見ると、「あ~あ、もったいない」と思ってしまいます。せっかく天から与えられた生命としての美しさがちゃんとあるのに、それを人工的な加工で覆い隠すのは、私としては残念という他はありませんね。

R&Bのディーバ、アリシア・キーズという女性が、スッピンで生きていくことを宣言したって、この前、ラジオで誰かが話しているのを聞いて、私は「そうしなさい、そうしなさい」と、心からエールを送りたい気分でしたね。

(肌の手入れは、私もしてますけど)

ビーフェルド・ブラウン効果

ビーフェルド・ブラウン効果というのは、私はあまりよくわかってなかったですね。

高電圧の電界が推進力を生むというもので、発見者はトーマス・タウンゼント・ブラウンというカルフォルニア工科大学の学生で、研究生として移ったデニソン大学で出会ったポール・アルフレッド・ビーフェルド教授と共同で、B・B効果という物理法則を、専門誌に発表したというのが、始まりということのようです。

簡単に言うと、電気によって重力をコントロールして、従来の飛行機の原理とはまったく別もののやり方で推進力を得て飛行するというものですが、実証実験は1953年といいますから、だいぶ昔の話しです。

今では、アメリカ空軍のステルス爆撃機B-2なんかに、これが使われているなんて話しもありますが、まあ、どうなんでしょうね。

「電界が推進力を生む」なんて、私はなんだかよくわからなかったんですが、この前、ユーチューブを見てたら、佐野千遥博士と言う人がテンビン秤(ばかり)にコンデンサをつけた絵を描いて説明してて、コンデンサに通電するとテンビン秤のバランスが崩れて、軽くなったり重くなったりするんですね。これがつまりB・B効果ということで、「ああ、そういうことか」と理解できましたね。

この佐野博士という人が、おもしろかったです。

ロシア人のアナトリー・パーブロヴィチ・スミルノフという人が提唱した理論を継承しているそうで、磁気単極子(S極だけ、N極だけの磁石)について語ったり、反重力や永久機関についても語っているので、ちょっとアブナイ人なのかなと思いましたが、ユーチューブで見る限り、そんなにヘンな人ではなくて、実に理路整然としているという印象を受けましたね。

【反重力について(about antigravity)   で検索】

 

” ヒマラヤ聖者の生活探求 ”

私が若いころは、世界最強の男といえば、今は亡き極真会館総帥、大山倍達その人だと信じてましたね。

ちょっと前ならグレーシー柔術の400戦無敗戦士、ヒクソン・グレーシーですかね。

今、一番気に入っているファイターは、ボクシングの世界バンタム級チャンピオン、井上尚弥選手ですね。

昨年10月に行われたWBSSの一回戦で、元WBA世界バンタム級スーパー王者、ファン・カルロス・パヤノを1回1分10秒でKOしたのをテレビで見たときは、ほとんど非現実的なものを目にしているような衝撃を受けました。

でも、素手だろうが、武装していようがなんだろうが、命のやり取りもある実戦の中で、一番最強なのは、ベアード・T・スポールディング著 ”ヒマラヤ聖者の生活探求 ”(1894年~の調査記録)の中に出てくる「ホステス」と呼ばれている女性でしょうね。

このホステスというのは、ヒマラヤの奥深くに探索に入ったアメリカの調査チームと、ヒマラヤの聖者を仲介する聖なる女性で、その顔は「最も精妙なキャミオ(装飾用の浮彫り)のような美しさ」と記述されてますが、この女性が、ゴビ砂漠全体に名前の知れ渡った悪名高き盗賊団の頭目、一番命知らずで残忍なため、「地獄から来た最悪の黒い悪魔」と村民から恐れられている男と対面したときの様子が興味深いです。

「男はヘナヘナと地面に崩れ落ちて生気もなく、両眼もボーと見開いたまま、口も開いたままである。卓絶した力を持つ大師(ヒマラヤ聖者のこと)とのお付き合いの中で、そのようなことを見たのは、後にも先にもこの一度だけであった(中略)そのバイブレーションは、ものすごい爆発時に生ずる力のようにはっきりと私たちにもぶつかり~私たちの言語だけでなく、筋肉まで麻痺させてしまった」と書いてあり、その後、「男はホステスによって助け起こされ、まもなく意識を取り戻し」たということです。

調査チームの一人が、その力について聖者にたずねたところ、「それは自分の身体を ”大いなる創造 ”の流れる発電機にすることであり、そうするとその放射によって~あなたたちを害しようとする者は、衝撃に遭って、その肉体は破壊されてしまい~しかし、何ら抵抗がなければ、この光はかえって本人や相手に癒(いや)しの香油となって注がれる」という答えが返って来たそうです。

これが本当に実話なら、このホステスこそが、人類最強かも知れませんね。

ちなみに、すべての人の中に、この ” 大いなる創造 ”の力は眠っているそうですよ。

(全5巻です。中島さんに貰いました)

 

瀬戸龍介さん

昔、新宿に住んでいたころ、瀬戸龍介さんというミュージシャンとよく合ってましたね。

音楽のことで会ってたわけじゃないんですけど、瀬戸さんは、ひとことで言うと「愛と神様の人」でしたね。

70年代だったか(正確には知りませんが)には、日本放送のオールナイトニッポンの2部をやっていたり、” スサノウノミコト ”という曲を収録したLPは、アメリカ西海岸のヒッピーに大人気だったとか、その後、アメリカに渡って、アメリカ人の奥さんを連れて帰国後、高尾山の山中に住んで音楽活動を続けたりと、知る人ぞ知るのミュージシャンです。

柔和で、まっすぐで、「神様」についての話しを、なんのテライもなく嫌味なく語れる天界的人物でしたね。

「でした」と言うのは、もう何十年も会ってないからそう言わせてもらうのですが、会ってたころは、一人娘の花世(はなよ)ちゃんはまだ幼稚園にも行ってないくらいじゃあなかったかな…と。

この前、ユーチューブで出てきたので見たら、花世ちゃん(ちゃんと言うのは、もう失礼かも)も立派なレディーになっていて、瀬戸さんと2人で歌を歌ってましたね。よい曲でした。

曲の内容はまさに瀬戸さんワールドの「愛と神」そのものでしたね。

今も楽しく過ごされているようで、よかったです。

(水の祭典ー7歌「水の詩」&「世明けの富士」瀬戸龍介&花世 で検索)

ジミ・ヘンドリックス

元祖ロックスターといえば、私としましては、これはもうジミ・ヘンドリックスですね。

他とはちょっと次元が違ってますね。エルビス・プレスリーやチャック・べリーなんかのように黒人音楽のベースの中から出現したというよりも、量子的飛躍といいますか、それまでの音楽の伝統から隔絶したかのような、突然の異質な音楽の出現であったという感じがします。

1960年代中頃ですからね、エレキギターの弾き方から何から、革新を通り越して異様といってもいいくらいで、なおかつ美しいですね。いや~、美しいとは違うかな…。スゴ味があって美しい、とか、つまりスゴく素晴らしいとか…。どうもピッタリの言葉はない感じですね。

でも、こんなに言っときながら、私はレコード1枚も持ってないんですね。

どうしてかと言いますと、中学生後半くらいからレッド・ツェッペリンに凝ってしまって、他を聴く余裕がなかったんですね。

私は若いころ、LPなんか聞き始めると、ずーと同じのばかり聴いていて、お金もなかったので、他のLPあれこれ買ったりできなくて、そうしてるうちにプログレにはまってしまい、余計にハードロック系はおろそかになったんですね。

だから私の青春は、ジミ・ヘンドリックスは気になりながらも、知らぬ間に過ぎ去ってしまったと、そういうわけなんですね。

そんなこともあって、これは私にとって、懐かしいというのでなく、時を超えた音楽という感じがしてますね。

今、CDで聴いても、そのスゴ味には圧倒されてしまいます。古くならないどころか、斬新ですらあります。

1942年生まれ、ミック・ジャガーより1歳年上。睡眠薬と酒の併用で27歳で死亡というのも、良くも悪くも永遠のロックスターのイメージに、あまりにもピッタリです。

バルテュス ”山 ━ 夏 ”

バルテュスの傑作 ”山 ━ 夏 ”はいつ見ても驚くべき絵画です(まあ、画集で見ただけですけど)。

幾世代にも渡って隔絶した遠い彼方(かなた)のたぶんどこかヨーロッパの夏、山に行ったときのだれかが、きっと見たであろう景色、空の色、大気のなかでの、一瞬の白昼夢のような光景とそれにまつわる数々の思い出がよみがえって来る、そんな空前絶後の油彩画です。

メトロポリタン美術館で実際にこの絵の前に立ち、その圧倒的な画面に見入ってみたいものです。

でも現物を見なくても、この絵の要衝は印刷物からでも伝わってきます。

この絵は油彩画のマチエールやヴァルールといったものとは別次元の、形象としての存在感に満ちてます。

バルテュスの別の油彩画、” ブランシャール家の子供たち ”や、” 客間Ⅱ ”などにもあらわれる、一種不自然に硬直したようなポーズでとどまるバルテュス独特の人物のモチーフが、この絵でも画面前面に誇り高く、直截的な表現で描かれていて、それは奇妙で、意味などなくて、意味ありげで、美しく謎に満ちた絵画です。

永遠の夏の山で、いまだ身じろぎもせずにとどまる男と女。鋭く切り取られた岩肌や、その背後に続く遠い山並みも、すべてがどこか空々(そらぞら)しい虚構であるかのような、それでいて、そこはかとなくリアルな圧力を発散する、ふしぎな夢見へと囚(とらわ)れてしまう、そんな気分にさせられる魅惑に満ちた絵画です。

(”山━夏 ”部分)

” 椎葉の春節 ”

先日、本屋に行ったとき、”山怪 ”(山と渓谷社)という本を見つけて買いました。

” 山人が語る不思議な話 ”とサブタイトルがついていて、フリーカメラマンの田中康弘さんという人が、日本全国を放浪取材するなか、マタギ等の狩猟の取材のとき見聞きした、山の中での奇妙な話しを集めたものということです。

狐火や神隠し、だれもいない深山での人の気配や、大蛇と遭遇したことなど、いろいろな話しが満載です。

その中に、九州の宮崎県の中央部に位置する椎葉(しいば)村に車で行ったとき、ナビがまるで動かなくなり困ったという、ご自身の体験談が出てました。

福岡空港で借りたレンタカーで椎葉村から都城に向かう山道で20分走行したにもかかわらず、ナビの画面がまったく動かなくて、引き返したということでした。そんなことが2度もあって、民宿の女将(おかみ)さんに話したところ、「ああ、そうでしたか。他のお客さんもよう言わすとですよ。ナビが役に立たんって」といわれたらしいです。

この椎葉には、日本で一番美しいメロディーと言われる民謡が伝えられていて、” 椎葉の春節(はるぶし)”というものですが、これをアレンジしたZABADAKの同名の曲がありまして、ボーカルの上野洋子嬢のどこまでものびやかな歌声が、古(いにしえ)の日本の山間(やまあい)の地の幽玄を彷彿(ほうふつ)とさせて、胸にひびきます。

「ZABZDAK 椎葉の春節」で検索すると、出てきます。

ザバダックのアルバム”桜 ”に収録

アインシュタイン博士の脳

天才科学者、アインシュタイン博士の脳は、数百の断片に分割されて保存されてるらしいです。この前テレビ見てたら、やってました。

今の科学者はこれを先端の科学で分析して、天才の知性の謎に迫ろうとしてるって言ってましたけど。

う~ん…まあね、私は科学者じゃないので気楽に言えますが、たぶんその試みはうまくいかないんじゃないかと思いますよ。

おばあさんがどこかの道を横断しようとしていたけど、そこは車がひっきりなしに走っていて、なかなか渡れなかったところ、1台の車が停止して、おばあさんは無事向こう側に行くことができたという場合、さて、この停止してくれた車の親切心は車のどの部分にあるのだろうと、科学者たちがその車を分解して、「このあたりが一番あやしい」と考えた末、エンジンを数百のパーツに分けて、そのひとつひとつを調べて、親切心のもとを探ろうとした、なんてことに似てるんじゃないですかね。どうでしょうね?

この場合、「親切心」は車じゃなくて、乗ってるドライバーの心にあったわけで、車はその人に運転されてたんで親切な車になった、とまあ、こんなことのように思うんですけど、これと同じで、脳はよくできた装置ではあっても、それは知性や人間性の大本(おおもと)じゃないと思いますけどね、私は。

(講談社「40歳から賢い脳をつくる脳トレトレーニング」に描いたイラスト)