小学館「キッズペディア 世界の国ぐに」

小学館の図鑑NEO「危険生物」に続き、今度は「キッズペディア 世界の国ぐに」のイラストを担当させていただきました。

この図鑑は、国連に加盟している193の国と、バチカンなどの4か国の合計197か国を紹介していて、私が担当したのは、フランス、スペイン、イタリアという、まさに私の好きな国々だったので、ほんと楽しみながら描かせていただきましたね。

限られた紙面の中にその国を象徴する写真、名産物、食べもの、ときには歴史や風習まで盛り込んであって、制作に携(たずさ)わった方は、内容を絞り込むのに本当に大変だったろうな、と思います。

私としては、できれば、ドイツやスイス、オーストリアなんかのイラストも描きたかったですね。

冒頭に出てくる日本の紹介では、日本の食べものとして、カップヌードルが紹介されていたりして、たしかにこれは日本を代表する食文化のひとつだなあ、と思いました。

そういえば今年、私は、成美堂出版刊の「読んでおきたい偉人伝 小学1・2年」で、カップヌードルの発明者、安藤百福(ももふく)さんの伝記を、鉛筆画タッチのイラストで描いていて、私が子どものころには存在してなかったカップラーメンが、今ではりっぱな日本の食文化なんだと、しみじみ思ったものでした。

(「キッズペディア 世界の国ぐに」本文イラスト原画)

サイモンとガーファンクル ”アメリカ”

サイモンとガーファンクルの曲、”アメリカ”を聴いていると、行ったこともないアメリカに行ったような気分になります。

あれはたしか18か19歳のころだったかなあ…、夏休み中、バイトして貯めたお金をバッグにつめて、彼女と2人、ミセス・ワグナーさんの作ったパイを買って、ピッツバーグからグレイハウンドに乗り、サギノーからはヒッチハイクで…「アメリカを見つけに行くんだ」なんてね。

2人とも若かったということですよ。目的地のない遠出です。

バスの中では彼女にふざけて、「ねえ、あのスーツの男のネクタイはカメラだよ」て、小声でささやいたりね。そんなどうってことない冗談も、本当に楽しかったな~。

レインコートのポケットに入ってたタバコも、その最後の一本を1時間まえに吸ってしまって、横のシートではいつのまにか彼女は静かに寝息をたててました。

「アメリカを見つけに行くんだ」て、はじめの目的もなんだかもうぼんやりかすんでしまって、バスの窓から見える草原の上には月が浮かんでいて、ぼくらのバスと一緒にずーっと走ってましたっけ…。2人とも若くて、遠くを夢見てばかりいたころですね。なんて、そんな妄想が浮かんでくるような曲です、”アメリカ”は。

(横浜で買ったアメリカのキャラクター”クリフォード君”)

 

神社

江戸二十五天神のひとつ小野照崎(おのてるさき)神社。東京、台東区下谷にあるこの神社は、俳優の渥美清さんがまだ売れない役者だったころ参拝し、「タバコをやめますから、仕事をください」と願掛けしたところ、電話が鳴り、「”男はつらいよ”という映画に出てみないか」と依頼があったということで有名な神社だそうです。

そういえば、古神道の先生はこう言われてました。「神様に”お願いします。お願いします”と、口で言うだけのお願いをしてもだめです」と。

先生が言われるには、「この世は形ある世界なのだから、”これこれをするのでお願いします”と、形にあらわしてお願いすれば、神様はその人のあらわすまことを受けとり、その願いを聞き入れてくださる」ということでした。

これとは別の話しですが、織田信長は1567年、今の岐阜県各務原に攻め入った際、周囲の寺社を焼きはらって進んでいたところ、手力雄(てぢからお)神社に迫ったところで突然、金しばりになって馬から落ち、急にあたりに霧が立ちこめたということです。

信長はおそれて神様におわびし、後にこの神社に千三百町歩の社領を付し、宝物を寄進したということです。

神社、神域にはふしぎなところがあるものです。

(小野照崎神社)

曲の間(ま)

今では音楽を聴く形態もいろいろ変化してますが、私くらいの世代ですと、そのベースにあるのはLPレコード、まあそこから進んだとしてCDくらいがやっぱりピッタリくるかんじでしょうかね。

ミュージシャンの作品というのは、LPやCDのアルバム全体としてひとつの作品と思ってるので、曲をシャッフルして聴くなんてのは、私にとってはBGM的聞きかたであって、どうもしっくりきませんね。

1枚のアルバムとして聴いていくときの楽しみのひとつに、曲と曲の間(ま)というのがあります。

そんな間のなかで、私がこれこそ芸術的な間だな、と思うのは、レッドツェッペリンの2枚目のアルバム、LED ZEPPELIN ⅡのB面1曲目、「ハートブレーカー」から2曲目「リヴィング・ラヴィング・メイド」の間ですね。

「ハートブレーカー」の、最後で、ロバート・プラントが”Go way heartbreaker~”とシャウトして、続けて短かく”heartbreaker、heartbreaker”ときざみ、次に”heart!”で無音になり、そこから2曲目「リヴィング・ラヴィング・メイド」が絶妙の間で始まるという、この間が「息をのむ」と言いますか、なんと言いますか、ブリティッシュ・ハードロック至宝の間ですね。

LED ZEPPELINⅡは、この間を聴くだけでも充分に価値あると思います。(LED ZEPPELINⅡ ジャケット部分)

「地球最後の日」

私が小学校5~6年のころ買った、初めてのSF小説は「地球最後の日」(フィリップ・ワイリー著 講談社刊)というものでした。

3年後に地球に衝突するコースで飛んで来ている怪星アルファーによってもたらされる”地球最後の日”までを描いた長編SFですが、地球から脱出するために飛び立った宇宙船”ノアの箱舟号”から見る地球の最後の描写に、当時小学生だった私はちょっとした衝撃を受けましたね。

しかし、そのこと以上に、宇宙船には日本人は乗ってなくて、そうすると「自分はノアの箱舟号に乗っている人たちが見ている、火のたまのようになった地球に残された者のひとりなんだ」という思いに強くとらわれたものです。

あのころ「地球最後の日、来ないといいけどな~」なんてボンヤリ思ってましたが、古神道の先生が言われるには、「地球はまだまだ終わりになりませんし、この世の終わりはありませんから安心してください」ということでした。

でも、人の世の終わりはあって、2020年までは動物が減り人が増え、それ以降は人が減り動物が増える、と予言されていて、どうやら現在はのっぴきならない時代のまっ最中(さいちゅう)ということのようです。

たしかに、今、地球全体はなんだかいろんなことが煮詰まってきている気がして、もう私が小学生だったあのころのような、ノンビリした時代ではなくなっている気がしますね。

土星の渦(うず)

太陽系で2番目に大きな惑星、土星の北極には、一辺が地球ほどもある巨大な六角形の渦(うず)があるということですが、写真で見ると「一体これはなんじゃ!?」と思えるくらいふしぎなものです。

なんでこんな形の渦があるのか、よくわかってないということですが、見れば見るほど奇妙です。単なる渦ならまだしも、六角形ですからね。

土星の北極表面には、この渦のある角(かど)のところに六本の巨大な支柱でも立ってるんですかね?

でも、そんな支柱があったとしても、こんな渦ができるかどうか…。

幽体離脱していろんなところに行ける人というのがいるようですけど、そんな人の誰でもいいので、土星まで行ってその正体を見てきてもらえないものかと思いますけどね。

でも、渦を作っている気流は秒速100メートルの速度があるらしいので、流されないようにしてもらいたいものですが。まあ、幽体離脱しているので、気流がどんなだろうが関係ないか、とも思いますけどね。

このほかにも、土星の衛星エンケラドスからは時々、氷の粒子が噴き出していて、それが土星のリングの一部を作っているんじゃないかと言われていて、私はこの土星のリングは、太陽系全体のなにかを記録するレコード盤みたいなもんじゃないかと、にらんでますけどね。

糸居五郎さん

今、売れに売れてるDJ、カルヴィン・ハリスの年収は63億円(米フォーブス調べ)とテレビで言ってました。

最近の洋楽、私はあまり聴かないですが、今年6月発売のカルヴィン・ハリスのアルバムの中の曲、”Feels”はラジオで流れてたの聴いて、好きですね。ファンキーて言うんですかね?そんなふうには言わないんですかね、この場合?若くないんでほめ方がわかんないですけど、いい曲です。

でも、我々の世代でDJと言えば、糸居五郎さんですね。私が中学生のころニッポン放送の”オールナイトニッポン”でDJやっておられました。

DJと言っても、今みたいなんじゃなく、アナウンサーを少し個性的にしたかんじで、しゃべり中心でした。「ゴーゴーゴー・ゴーズ・オン」なんて言ってね、シャレてましたね。

中2か中3くらいだったと思いますけど、深夜、自室にこもってラジオつけると、糸居五郎さんが「それではレッドツェッペリンの新曲、”ワナ・ホラララー”」と言って”WHOLE LOTTA LOVE”(邦題”胸いっぱいの愛を”)が流れてきて、低音域を補強したばかりのスピーカーから、ヴォンヴォン重低音が聞こえてきて、胸がおどりましたね。今でも鮮明に覚えてます。

私も、ジミー・ペイジのように長髪にしたかったですが、田舎(いなか)の中学なので、校則で決まっているため、涙をのんで丸刈りの坊主頭でしたけど、でも、心だけはハードロックしてましたね。

(当時のニッポン放送の会報”VIVAyoung)

「大ドイツ博」

若いころ、いろんなバイトをやりましたけど、腰にカナヅチ(ナグリと呼びます)をぶら下げてやる、大道具という名の仕込み仕事もそのひとつです。

小規模なものはどこかの催事場の会場作りや撤去、大規模なものは武道館での会場の設営なんかもやりました。

あるとき、晴海で開催された「大ドイツ博」(たしかそんな名前だったと思いますが)の会場作りをやって、そのときはドイツからやって来た大道具さんたちといっしょに設営をした覚えがあります。

日本の大道具は、仕事中の水分補給に、ポカリスエットかなにかを飲んでましたが、ドイツの職人さんはウオッカのビンを持って来て、ときどきグイっとあおりながら仕事してたような記憶があります。でも、ドイツの職人さんの名誉のために言っておきますが、その仕事はピシッとしていて、決してウオッカのためにヨレヨレになるようなことはなかったですね。

ドイツ人の頑健(がんけん)な胃袋にとって、少々のウオッカなんて、水がわりだったのかもしれません。

設営が仕上がるとドイツ人たちは、我々日本人もまきこんで、全員が輪になって、ウオッカのまわし飲みを始めました。「設営無事完了!おめでとう!」てなかんじです。

まわってくるウオッカのビンに口をつけて、グビッとひと飲みして、となりの人にまわすという、なんとも豪快な儀式がえんえんと続き、ストレートでウオッカなんてあおったことのない、我々日本の大道具は大変でした。それから後は、どうなったんだか、よく覚えてないですね。

昔の雑誌

昔の雑誌が出てきたのでパラパラめくっていると、ある女優さんのフォトエッセイが載っていて、「結局、だれも何もしてくれなかった。神様も、してくれなかった。”してくれない”と云うプレゼントを私はたくさん持っている」と書いてありました。

私が若いころと言えば「神様は何もしてくれない」どころか、そういう存在自体あまり信じていませんでしたから、こんなことをサラリと書くこの人は、むしろ深い部分でどこか神様に信頼をよせている人かも、と思ったものでした。

ところが、古神道の先生が言われるには、「食べものを口に持っていくところまでは、あなたがやる。でも、そこから先は神様がやる」ということでした。

たしかに、食べものを消化して、吸収し、代謝し、肉体を成長維持し、筋肉を動かし、呼吸したり、血をめぐらせたり、それによって生活を成り立たせるなんてことは、私がシステムを作って、私が考えながらやってることではないですよね。

その先生は「すべて自分でやっていると言うのなら、白いごはんを赤い血に変えてみせてください」とも言われました。「身体は借りもので、この借りの世で修行しているのが人間」ということで、そう言われてみると人間は、すべてを整え与えられたうえで、なんでもやっていい自由も与えられた存在ということになるのかも知れません。

(昔の雑誌いろいろ)

”私は羊”

今朝は曇っていて、肌寒く、パッとしない気分のまま、熱いお茶(ほうじ茶)を入れ、さて、と仕事にとりかかったわけですが、たしか昨日はもう少し気分も上向いていた覚えがあり、私をとりまくいろいろなことは、昨日とそれほど変わりがあるわけじゃないのに、今日はこんなに気分がパッとしないとは…、私のこの気分というのは本当に気まぐれで、やっかいで、空の雲のようにやって来ては過ぎて行って、晴れたり曇ったり、雨が降ったり、ころころ変わって行くものだなあと、いつものことながら、つくづく嫌になるというか、あきれてしまいます。

「こんなときは音楽だ」と、気をとりなおして、聴いたのがザバダックのアルバム、”私は羊”の中の曲。「サンタ・サングレ」から「砂の扉」、タイトル曲「私は羊」ときて、「夏を見渡す部屋」にまでさしかかると、そのどことなく聖歌を思わせるサビのところで、ついに心にパッと光が射してきて、なんだか少しやる気も出てきて、やっぱり音楽の力は偉大です。

もうさめてしまったほうじ茶を、熱々なのに入れなおし、気分一新、しめ切りのせまっている仕事にとりかかったというような、そんな次第です。

( ”私は羊”CDジャケット)