輪廻(りんね)を超えて

月刊誌の発行にたずさわりながら主婦業をし、3人の子育てをしていたジュディー・ランドという女性が、AF(アフ)と名乗る霊的存在からのメッセージを自動書記によって記録し、本として出版したのが「輪廻を超えて」(人文書院刊)です。

この存在によれば宇宙は意識のレベルによって7つの領域に分かれていて、領域1は物質世界で、領域2より上が霊的世界と呼ばれるものであり、領域3,4,5と進むほどに、そこに存在する意識は高度に拡大進化したものだということです。

領域6,7は「創造」の領域で、生命の創造はこのレベルの「全存在を包括(ほうかつ)する存在」によって行なわれたということです。

進化論の学者が腹をかかえて笑いだすような話しですが、私は「偶然と適者生存」によって生命が進化発展して人間になったという話しより、この領域6,7の存在による生命の創造という話しのほうが、なんとなくしっくりする気分です。

それにダーウィンの「種の起源」は、生命の進化の過程は説明していても、生命そのものの「起源」は説明してないですしね。まあ、私は科学者じゃあないので、「全存在を包括する存在」、「おおいなる宇宙意識によって生命は創造された」なんて言う神秘的でファンタジックな話しのほうが好きですね。

アフによれば「宇宙が収斂(しゅうれん)して最後はブラックホールになることもない。あらゆる区域で成長と変化をとげながら発展はつづく。宇宙は永遠にひろがり続けます」ということで、「物質世界が創造されたのは、神が自ら創りだしたものに、より大きな機会を与えようと望んだ結果」だということです。

アフは地球について「人にとって地球はテストの場、それも非常にすばらしい場所で、~人生は一種のテストなのです」と言ってます。

テストなんて学生の時だけで十分と思いますが、この歳まで生きていると、人生は確かに何かのお試(ため)しじゃないかと思うようなことが、いろいろありますね。

(「彼方への道」水彩画です)

悪魔を憐れむ歌

ローリングストーンズの曲で、一番好きなのは「Sympathy for the debil(悪魔を憐(あわ)れむ歌)」ですね。

「憐れむ」とは言っても、歌詞の内容は悪魔寄りで、ルシファー(自らの力を過信したために地に堕(お)ちた大天使)の自己紹介の言葉が延々(えんえん)とつづられているのですが、その内容はともかくとして、私はこの曲を聴くたびに、単調で魅惑的で、あやしげな独特のリズムに引きこまれてしまいます。

それは、ほおっておけば無意識の中に入りこみ、夢の中でもくり返されそうな、一種熱病的なリズムで、そこにミック・ジャガーのねっとりとした魔術的なボーカルがからみ、えも言われぬ喜悦(きえつ)がこみ上げてくるという、まさに悪魔の媚薬(びやく)的な名曲です。

この地球上には、モーツアルトの「レクイエム」や、ビートルズの「レット・イット・ビー」のような天国的な名曲もあれば、この「悪魔を憐れむ歌」のような悪魔的な名曲もあるということで、もし何も知らずに地上に降り立った天使がいたとして、両方の曲を耳にしてしまったら、彼女(彼)はこの世界の振(ふ)れ幅の広さに、たじろいで立ちつくしてしまい、ぼう然となるのではないかと、私は心配してしまいます。

(水彩画 習作)

オムネク・オネク

私は小学生のころ、よく熱を出して学校を休んでいました。

高熱があるときなどは、なんだか奇妙な感覚におそわれたことを、今でもよく覚えてます。それは、寝ている自分の体全体が1メートルくらいの厚さの粘土(ねんど)でおおわれたような感覚で、全身が圧迫され、身動きしようにも手も足も動かせず、寝返ることさえできないという不快なものでした。

熱が下がって元気になり、学校に通いはじめると、そんなことはすぐに忘れてしまうのですが、ある時、絵本を見ていてその中に、擬人化された大きな自動車と小さな自動車が握手をしている絵を見たとき、その”大きな手につつまれる小さな手”というイメージから、なぜかあの高熱の時の感覚がフラッシュバックしてしまい、目まいのするような不快感におそわれたことがありました。

大人になると、その感覚は忘れてしまっていたのですが、最近読んだ本「私はアセンションした惑星から来た 金星人オムネク・オネクのメッセージ」(徳間書店刊)の中で、自称金星人であるオムネクという女性が、アストラル体の身体から次元を下げて物理次元の肉体をまとう、という描写があり、その表現に「自分の肉体が殻(から)におおわれている~」、「全身を鎧(よろい)ですっぽりと包まれ~そこから抜け出すことができない」と書かれているのを読んだとき、あの子供のころの高熱に浮かされた奇妙な感覚がリアルによみがえってきました。

全身を圧迫されるような不快感をひさしぶりに思い出し、私はなつかしいやら、気持ち悪いやらで、少し困りました。

(「オムネク・オネク」鉛筆デッサン)

エルンスト・フックスの画集

ある時、六本木の書店に入っていろいろ見ていると、美術書コーナーに、スイスの画家、エルンスト・フックスの画集を見つけました。

エルンスト・フックスは、なんとも神秘的で神話的な世界を濃厚な色彩で描くウィーン幻想派の画家ですが、画集を手にとり、ページをめくってゆくと、あるところで手が止まりました。

石像のような巨大で奇妙な頭部が、うす青い燐光(りんこう)をまとって立ちつくしている絵でCherub zwischen Tag und Nachttoiuというタイトルの作品です(ドイツ語で書かれているので意味はわかりません。「~何々と夜」ですかね)。

そのページを開くと同時に突然、私の耳にシュイーンというかんじで、まるでムーグ・シンセサイザーから発せられたような音が聞こえてきたのです。

脳内にしみ渡るようなその音は、絵全体を支配する青白く光を発している色彩と通底(つうてい)しているような、気の遠くなるような、ふしぎな音色でした。

その音は本を閉じるまでずっと私の耳に響いていました。絵から音が聞こえるなんて、この時が初めてでした。

それだけが理由というわけではないのですが、その当時1万円以上したこの画集を、私は思わず買ってしまいました。

(エルンスト・フックス画集より模写)

失われた文明

旧約聖書に書かれている「ノアの箱舟」の話しは有名ですが、これは架空の物語りではなく、古代の地球に起こった大災厄(だいさいやく)の記録だとして、世界各国に伝わる多くの伝説を収集し、その実態にせまったのが,旧ソ連の学者、アレキサンドル・ゴルボフスキーの著書「失われた文明-1万2千年前の世界」(講談社現代新書)です。

それによれば、ノアの箱舟のような大洪水の伝説はシュメールの粘土板、エジプトの聖典、インドのサンスクリット写本、アメリカインディアンの神話、など世界各地にあり、その多くに共通しているのは、洪水の前に預言者があらわれて、人々に異変の来ることを警告している点だと書いています。

ギリシャの哲学者プラトンは、紀元前6世紀の賢者ソロンが、エジプトの神官から「あなたは1つの洪水についてしか知っておられないが、このような洪水がその前にもたくさんあったのです。私たちの文明はこれまでに、しばしば天から降ってきた雨水によって滅び去っているのです」と聞かされたと書いています。

そして、洪水以前の地球に存在していた高度な文明の記憶の断片は、世界各所に出所不明のふしぎな知識として残されていて、たとえばそれは、コペルニクスが地動説の論文の序文に「私が地球は動いているという考えを持つようになったのは、古代の人々が書いたものを読んだからです」と書いていたり、紀元前1500年ころのチベットの古文書に、アメリカ大陸についての記述があるなど、いくらでも例をあげられるそうです。

たしかに、今、この地球に彗星(すいせい)でも衝突して、大洪水になり文明が滅んだとして、たまたま私と数人が生き残ったとしたら、私は後世(こうせい)に携帯電話はおろか、安全ピンの作り方ひとつ伝えられないでしょうから、私の生きた時代も、「失われた文明」となってしまうでしょうね。

(「大洪水の後の世界」若いころの鉛筆画です)

講談社「12ヶ月花づくり庭しごと」

園芸家の山田幸子先生には、講談社刊の「12ヶ月花づくり庭しごと」でもイラストを描かせていただきました。

この本にはイラストが満載で、タイトルやコラムの絵は鉛筆で描き、本文のものはロットリングペンで描きました。ロットリングは本来、製図などの線を描くのに適していますが、私はその硬い線のイメージが好きで、昔はよくイラストを描くのに使っていました。

絵の影の表現などをロットリングのペン先0.13ミリの細い線で描いているときは緊張感がありましたが、好きでしたね。ロットリングペンには0.1ミリもありましたが、私はインクが詰(つ)まるのがこわくて0.13ミリを使ってました。

この本の出版は、印刷がデジタル化される前だったので、製版の方(かた)がすごく凝りに凝った作業をされて、イラストのバックにうすいアミを入れたり、イラストと地色の境目を凝った作りにしたりと、すごかったです。

完成した本を見て、「職人ワザだなあ」と、頭の下がる思いでした。

(「12ヶ月花づくり庭しごと」より)

毎日新聞「四季のガーデニング」

毎日新聞では2005年から2013年まで、「四季のガーデニング」という連載のイラストを描かせていただきました。

著者は園芸家の山田幸子先生。先生は長い連載の間,いつも気さくに接してくださっていたので、今ではなんだか身内のような気分で会話させてもらってます。

昨年の春、私が庭に植えたバラの葉を一夜にして虫に食われてしまったときなども、「先生、バラの葉っぱほとんど虫にやられました…。枯れてしまいますか?」とお電話したところ、「葉っぱ一枚も残ってないの?ちょっとはある?それならだいじょうぶよ。枯れないわよ」と言われ、本当にホッとしました。

おかげでその後、バラは先生の言うとおり復活して、6月にはきれいな花がいっぱい咲きました。(本当は5月ころには咲くはずだったのが、葉が虫に食われた影響で、咲くのが少し遅れたようです)

(毎日新聞連載です)

 

ベールの彼方(かなた)の生活

「ベールの彼方の生活」(潮文社刊)は、イギリスの牧師G・V・オーエンが、自動書記という手法で1913年よりおこなった霊界通信記録です。

全4巻からなり、アーサー・コナン・ドイルや、新聞社を経営するノースクリッフ卿などが序文をよせ、イギリスのスピリチュアリズム(心霊主義)の発端(ほったん)となった書籍です。

この本の1巻の後半に、オーエンを通じてアストリエルと名乗る霊的存在が、天体の科学について説明する記述があります。それによると、恒星と惑星をふくむ宇宙全体には、物質と霊質の中間的存在が行きわたっていて、もしそれがなかったなら、太陽光線も地球まで届かず、大気はまっ暗になるとのことです。

そして、それらのシステムには「人間的計算の域を超えた数」の霊的存在が関与していて、「各々の恒星が天体としての役目を遂行するためのエネルギーはそこから受けている」と説明しています。これなんか日本神道の”八百万(やおよろず)の神様”に近い考え方のように私には思えます。

「造化の王国(物質宇宙)には何ひとつとして盲目的、無意識的エネルギーは存在しないということです。~太陽その他の天体からの電波ひとつにしても、かならずそれには原因があり、その原因には意識的操作が加わっています」と、アストリエルは語り、また時にはキリスト教の教義から逸脱(いつだつ)するようなキリストについての説明なども記述されていて、牧師であったオーエンは、とまどいのあまり自動書記を中断したこともあったように読み取れる箇所もあります。

ともあれ、この本の他にも「シルバーバーチの霊言」やステイトン・モーゼス著「霊訓」など、イギリスには多くの霊界通信記録があり、このことが今日(こんにち)のイギリスで、一部の心霊治療に国の保険が適用されるようになった下地としてあるのだと思います。

img900(「カノン3」水彩画です)

 

たき火をしたこと

今日、午前中に2時間ほど停電がありました。家の前の道路拡張工事の関係で、送電線をつけかえるため、うちと近所の数件だけの停電でした。

机のライトもつかないので、仕事ができなくて、空調の暖房も使えず、石油ファンヒーターも、ファンの部分に電気が来てないので使えず、パソコンもルーターが動いてないのでメールの送信もできず、トイレの水も流れません。

使えるものといえば、旧式のアラジンの石油ストーブだけですが、こうなっては部屋にいてもやることもないので、外に出て、庭先で落ち葉や枯れ木を集めてたき火をしました。

火を燃やすのは簡単そうに思えますが、最初の段階は慣(な)れてないとむずかしいです。火をつけたばかりの紙くずに、いきなり大きめの木片をのせたり、湿った枯れ葉を重ねすぎたりすると火はすぐに消えてしまい、たき火なんかあまりしたことのない人には案外むずかしいものです。ボーボーと燃え上がる様子(ようす)を、いきなりイメージしてはりきると失敗します。

最初は細い木の枝や乾いた枯葉を少しだけ燃やし、それにちょっと大きめな枝を空気の通り道のことも考えて交差するように加えていき、たまたま良く燃える枯れ葉数枚がパアーと燃え上がっても調子にのらず、着実に火を大きくしていくことに努めれば、やがて火は勢いをまして、大きな炎に成長します。

このゴーゴー燃えるたき火も、最初はほんの数本の細い枯れ枝についた火から大きくなったのだなあ、と思うと、老子が「道徳経」の中で語った「千里の道も一歩から」というのは、ほんとうだなと感じたような次第(しだい)です。

img901(日東書院刊「ぼくらの大冒険ハンドブック」鉛筆イラスト)

ニコラ・テスラ

ニコラ・テスラは1856年、クロアチア生まれの電気技師にして発明家です。エジソンに勝るとも劣らない天才と言われ、交流電流、ラジオ、蛍光灯もテスラの発明のようです。

テスラがいなければ、今日(こんにち)のように、多くの家庭で電気が使える世界は実現してなかったかもしれません。

テスラは結局、エジソンとの覇権(はけん)争いに敗れ、86歳でニューヨークのホテルの一室で孤独のうちに死んでしまうのですが、その直後、FBIの捜査官が部屋に押し入り、金庫に入っていた数式や図面を持ち去るという事件が起こっています。

それは、テスラが生前から提唱していた「地球そのものの電気振動と共振して,莫大(ばくだい)なエネルギーを無限に得られる」とする”世界システム”や、その応用として可能な「スカラー波兵器」や「重力波兵器」の図面だったとされているようです。

「重力波兵器」などというと、ちょっとSF小説ぽいですが、テスラは1890年代に、高調波共振原理のデモンストレーションと称し、人工地震を発生させ、マンハッタンの街が揺(ゆ)れはじめ、水道管が破裂し、研究所のビルまでも揺れだしたため、警察が突入するという事故を起こしていて、テスラはこの時、「大規模な共振を起こせば、地球もまっぷたつにすることも可能」と言ったそうです。

そのため、テスラはマッドサイエンティストとみなされてしまいますが、本人はこの”世界システム”によるフリーエネルギーがもたらす、平和で豊かな未来を望んでいたようです。

ニコラ・テスラは本当はエジソンをはるかに凌駕(りょうが)する、早すぎた天才であったと、私は思います。

img875(学研ムック「大人の科学マガジン」より、テスラのイラストです)