三日月の窓

私が現在、住んでる家は、築40年以上の和風な家なんですね。

これは今はやりの古民家というには中途半端に新しくて、築100年などというホンマモンの古民家のような経年変化の味わいは、まるでありません。

建てた当時はそのころの最先端だったんでしょうけど、へんに新建材なんか使ってるぶん、いわゆる日本古来の家屋のような趣(おもむき)はぜんぜんないんですね。

そして私は、もともとヨーロッパあたりの建物が好きで、イタリア、フランス、スペインなんかの、石と漆喰でできた家にそこはかとない愛情を感じるというたちなので、いま住んでいるこの家には、特になんの思い入れもないというかんじです。

とはいえ世界には、戦火で住む家を失った人や、劣悪な環境で寝起きしている人たちだっていっぱいいるんだから、雨風をしのげる屋根の下で暮らせるだけで、ほんとありがたいことなんですけどね。まあ、趣のない家だなんて文句言ってたらバチが当たりますよね。

この家の玄関入ったとこの壁には、丸窓が開いていて、そこに障子(しょうじ)があり、へんな竹細工がしてあったんですけど、この前、ちょっと時間があったので、そのあんまり趣味のよくない竹細工をノコギリで切り取って、障子に三日月形に切った和紙を貼りつけて、クレセントムーンな丸窓に変身させてやりました。

ちょっとはいい感じになったかな~と思ってます。

古代ギリシアのオリンピア

NHKで中継した、オリンピック聖火のためのギリシアでの採火式で、古代ギリシア語の同時通訳をした女性、古代ギリシア研究家の藤村シシンさんによりますと、現在のオリンピックは、本来のサイクルより1年早くなっていて、これは西暦に紀元0年がないために、その1年がずれてきてるかららしいです。

したがって、来年2021年にオリンピックが開催されるとすれば、それが本来のオリンピック開催年に一致することになるんだそうです。

藤村さんは12年前から、本来のオリンピックを2021年に自分で祝おうと思ってたらしいですね(12年前のブログに書いてるそうです)。

というのも、次のオリンピックはオリンピア紀700回に当たる記念すべき年なんだそうです。

このタイミングでオリンピックが2021年という本来の年に開催されることになれば、それはなんだかふしぎなことのような気がしますね。

それから、藤村さんによると、古代ギリシアでは太陽神はアポロンじゃなくて、ヘリオスという神だったそうです。だからアポロンの神殿で太陽からの採火式をするのは、本来ならちょっとおかしいことなんだそうです。

じゃあ、古代ギリシアでアポロンはどういう神だったかといえば、それは疫病を鎮める神だったそうです。

このことを聞いたあとで、今回のオリンピック延期騒動が新型コロナウイルスという疫病によるものというのを考えると、なんだか奇妙な感じがしてきます。

免疫力上げていきましょ~!

いよいよ春らしくなってきましたね。

朝晩、まだ寒いことは寒いですけど、もう真冬の寒さとは質がちがいますよね。

新型コロナウイルス、まだまだ終息しそうにないですけど、皆様、免疫力上げて、なんとか乗り切ってください。

私はもともと自宅作業のイラストレーターなので、人と接触する機会が少なく、しかもここは岡山の田舎ですからね、人口少ないので、ウイルスの脅威は今のところそれほど感じられないです。

買い物にスーパー行っても、マスクしてる人なんて、そうですね~、20~30%くらいじゃないですかね。

私もマスクしてないですね。じつはこれまでの人生でマスク買ったこともないんですよね、私は。

街中(まちなか)ではそうもいかないんでしょうけど、だいたい仕事部屋でゴソゴソ一人で仕事してる私にとって、マスクはほぼ必要ないですね。

以前、東京にいたころはかなり花粉症気味だったんですけど、朝食にヨーグルト+バナナ食べて、1日1回は納豆摂るようにしてたら、今ではほとんど症状なくなったので、花粉症シーズンでもクシャミが1日3~4回出るくらいですかね。

それから私の場合、タワシ健康法やってますね。

何日かおきに不定期で、タワシで上半身こするってやつですけど、これやってると風邪も引かなくなったです。

ヨーグルト+バナナ、納豆、タワシ健康法、それと軽い自主トレ、これが私の免疫力アップ法、て言えば言えるかも知れませんね。

(冬の間、家の中に入れてた鉢植えを外に出しました)

 

 

ビゼー ” メヌエット ”

はるか昔、私が京都に住んでたころ、太秦(うずまさ)映画村で似顔絵描きのアルバイトをしてたときですけど、お昼休みに、近くの住宅街の細い裏道をぶらぶら歩いていると、道に面した家の二階から、ビゼーの ” アルルの女  第2組曲 メヌエット” が聞こえてきましたね。

その家の人がフルートの練習しているようで、ときどき途切れたりしてましたが、なかなか上手なもんでした。

初夏の日の午後、人通りのない裏道に響く ”メヌエット ” は、いいかんじでしたね。

ビゼーは天才ですね。 ” メヌエット ” もそうですが、同じ組曲の中の舞曲 ” ファランドール ” もいい曲です。

それに、アルフレッド・ハウゼ楽団の演奏で有名な ” 真珠採りのタンゴ ”も、ビゼーの歌劇 ”真珠採り ”が原曲ですからね。

そして、交響曲1番のハ長調。

美しいメロディーを創造できるという天性の才にめぐまれたビゼーは、しかし、オペラ ”カルメン ”の初演の3カ月後に敗血症で36歳にして亡くなったらしいですね。

奥さんは後に、ロスチャイルド財閥の顧問弁護士と再婚したとありますが、美人だったんでしょうね、マルセル・プルーストが 小説” 失われた時を求めて ”の中に、彼女をモデルとした侯爵夫人を登場させたということですからね。

 

ニール・ドナルド・ウォルシュと斎藤一人さん

”神との対話 ”(サンマーク出版刊)の中で、ニールに降りた神は、こう言ってます、「『在る』ことは、体験してのちにはじめて達成される。『知る』こと、『体験する』こと、何者かで『在る』ことの順に発達し、進化する、これが聖なる三位一体(さんみいったい)、神の三位一体である」と。

銀座マルカンの社長、実業家にして神を語る人で有名な斎藤一人(ひとり)さんは次のように言ってます。「『法』を知る。経験して行う。そうすると、実は自分が何者かがわかる。これを『悟りの三位一体』というんだよ」と。

これは両方とも、ほぼ同じことを言ってますよね。かたやアメリカのオレゴン州、かたや日本の江戸川区。ニールは元ラジオのディスクジョッキー、一人さんは青汁販売で財をなし、12年間納税日本一の社長さん。

特に共通点のないこの2人が、しかし、神からのメッセージを語れば同じことを語ってます。メッセージの類似点は他にもたくさんあります。

じゃあ、違ってるところはどこかといえば、一人さんの話しには「天国言葉(ありがとう、うれしい、たのしい、など)を唱える」というのと、「天之御中主(あめのみなかぬし)様~」という言霊を発することで、救済を得る手段を説明してるとこですね。

一人さんは、「今の時代、人間にはすがるものが必要」、「多くの人を救うには単純なことがいい」と言っていて、「お金がかからず、依存を生まない」方法として、神名を唱え続けるという手法を公開してますが、なるほどね、私なんか落ち込んだときなんて、ほんとにどうしょうもないですからね。この世の終わりみたいな心持ちになりますから。

そんなとき、理屈ぬきでなにか超越的なもの、それが神なのか、宇宙意識なのか、大いなる神霊なのか、はたまたサムシンググレートなのかはともかくとして、支えてくれるものがあると知れば、正直、助かりますからね。

ということで、ニール・ドナルド・ウォルシュは知的に神を語り、斎藤一人さんは実践的に救済を説くという違いはありますけど、いずれにしましてもこれは、今の時代にあらわれた新しいかたちの福音(ふくいん)じゃないかと、私は思いますね。両者とも、既存の宗教や団体とはまるで関係なくて、独自に神からもたらされた法を説いてますけどね。

 

人工光合成

日本経済新聞の3月8日版に、驚くべきニュースが掲載されてましたね。

三菱ケミカルなど複数で構成する研究機関が人工の光合成実用化に乗り出すというもので、これが実現したら化学製品やエネルギーの供給には驚異的な変化が起こることになるんじゃないかと思いますね。

植物が、光と水と二酸化炭素から炭水化物を合成するという離れ業(わざ)、光合成は、人類にとって長いあいだ未解明の仕組みだったわけで、地球上の酸素もすべて植物の光合成によって作られていて、その量は年間2600億トン。すべての生物はこれなしじゃ生きて行けないわけですからね。

しかも光合成は有機物を作り出す唯一の手段であり、これによって植物も動物も人間も存在できてるという、本当にもう途轍(とてつ)もない御仕組みであるわけです。

そして驚くべきことに、光合成を可能にする植物内のクロロフィル(葉緑素)は、人間の血液とほとんど構成が同じで、血液のヘモグロビンと植物のクロロフィルの違いは、構造の中心が鉄かマグネシウムかという点だけで、それ以外はまったく同じという、摩訶不思議(まかふしぎ)なことになってます。

だから、人工光合成が可能になるということは、人工で血液を作れるということくらいにスゴイことだと思いますけどね。

30年度の実用化を目指す、てことのようですけど、これが実用化された地球の未来は、もはや石油を必要としない、夢のような未来ということになってるかも知れませんね。

 

「感謝」

普通、感謝というのは、だれかに何かしてもらったときなんかに「ありがとう」と言う、そのことだと思っていると、ロンダ・バーンという人の書いた本、 ”ザ・マジック ”(角川書店刊)によると、どうもちがうみたいです。

不満は山ほどあるけど、感謝することなんて何もない、という人に、この本は「見ることのできる目、食べられる口、歩くことのできる足、呼吸できる空気」などなどに感謝することからはじめてみると、感謝はいくらでも見つかる、て書いてありまして、なるほどね~てなかんじですね。

そして、常に感謝の言葉を言ってると、今の人生がどんなに大変な状況だったとしても、すべては魔法のように好転しはじめる、てことが体験談なんかも紹介しながら書いてあり、「そんなウソみたいなこと、あるのかよ~」なんて言う人もいると思いますけど、そんなウソみたいなことが実際に起こるということも含めて、この本のタイトルは ”ザ・マジック ”なんだそうです。

そういえば、納税日本一の社長、斎藤一人さんも、本の中で、「私はなぜか、昔から知っていました。問題が起きたとき~(中略)~その問題を解決してしまう方法があるということを。その方法はたった一つです。たった一つの方法で、全部の問題が解決できます。それは、感謝です」て、書いてましたね。

「将来もし解決不可能な試練に直面したり、途方に暮れたりしても、心配せずに気持ちを切り替え、『それ以外のこと全てに』感謝しましょう。人生の良きものを意識的に感謝すると、試練多き状況も魔法のように変わります」というこで、”ザ・マジック ”は、ほんと不思議な本でした。

東大TV YouTube

東京大学の摸擬講義がユーチューブで見られる、てんですから、今はホントに便利な時代になったもんです。

東大TV  YouTubeで検索すると、いろいろ出てきますね。

酒井邦嘉教授という人の、” 脳はどのように言葉を生み出すか ”というのはおもしろかったですね。

まあ、脳がどのようにして言葉を生み出すかはわかってないらしいですけどね。

人間が足を動かして歩くためには、その命令を出す部位が脳にあり、その部位に命令を出す部位が、また脳のどこかにあり、その部位にもまたどこかから命令が出されているようで…、と、それは入れ子構造になっていて、どこまで行ったら本当に「歩く」という意志を生み出す場所があるのか、結局それはわかってないということらしいです。

「歩こう」とか、「動こう」とかの意志はどこから来るのか?この「自由意志の問題」がわかっていないのと同じように、言葉を脳がどのように生み出すのかはナゾらしいですね。

まあ、スピリチュアルな考え方では、脳はよくできた受信機であって、それ自体が意志を生み出すことはなく、意欲することの源(みなもと)は魂から来ている、なんてことだと思いますけど、それはそれとして、東大教授としては、この不可思議な人間の機能に、科学的アプローチで懸命に挑み続けていると、まあ、そんなことのようでしたね。

アルベルト・カミュ ”ペスト ”

新型コロナウイルス、なんとか早く終息してほしいものですね。

これ以上感染が拡大していかないよう祈るばかりです。

ああ、そうそう、この「祈るばかりです」という表現は、よく使われますけど、そう言ったあと、本当に時間取って祈ったという人はどれくらいいるんでしょうかね?

「~を祈っております、なんてのは慣用句として使ってるだけで、実際に祈るわけじゃない」ということなんでしょうけど、本当に祈ってみたらどうなるんでしょうね。

日本は言霊(ことだま)の国ってことですから、実際に口に出して、思いを込めて、多くの人が祈ったら、祈られたほうは状態が改善したなんてことがあるかもしれないですよね。

たとえば今回の新型コロナウイルスのことだったら、「新型コロナウイルスの感染が終息しますように」なんてことを、実際に言葉にしてみるなんてことですね。

ああ、それから、祈りというのはコツがあって、過去形で言うのがポイントと斎藤一人さんが言ってたので、「新型コロナウイルスの感染が終息して、ありがとうございます」てのがいいかもしれませんけどね、感謝の言葉つけるのもポイントらしいですから。

でも、終息してもないのに「終息して」なんて言うのが引っかかるというんだったら、単語法がいいとも言ってましたね。「新型コロナウイルス、終息、ありがとうございます」て具合ですかね…。まあ、とにかく早く終息することを祈ります。

今回、感染ということで、フランスの作家、アルベルト・カミュの小説 ” ペスト ”のこと書こうと思ったんですけど、話がそれてしまいました。

そのうち ” ペスト ”について、あらためて書こうと思ってますけど、その節はよろしくお願いします。