湖でおぼれたこと?

私が小学校1年生くらいのことだったんじゃないかな…。子どもクラブというのが主催したバス旅行で、どこか湖のようなとこに行ったんだと思います。

私はよく覚えてないんですけど、近所の集合場所からバスに乗ったのは記憶してます。

みんな親が1名つきそいで参加していて、うちはその日、父親が来たのですが、子どもの私は父親が苦手で、「なんだか、いやだな~」と思っていましたね。

記憶はそこまでで、あとは何も覚えてないんですね。

ところが、今から数年前、まだ父親が生きていたころ、たまたまその話しになって、「あのとき、湖でボートに乗って、おまえはバランスを崩して水に落ちたんだよな~」て言いだして、私はそんなことがあったなんて、初めて知りました。

「おまえは、まだ泳げない子どもだったんで、わしは急いで水中をさぐっておまえの手をつかもうとしたんだが」。父は私の手をつかめなくて、「わしは ”ワアー、息子を死なせてしまった ”」と思ったそうです。

私はそれを聞いて、なんだかいろいろ思い出したんですね。

私は水の中で苦しくて、水をいっぱい飲んでしまって…、どんどん身体が深く沈んで行くのを感じて、気を失って…。

ふと気がつくと水の中じゃなくて、私は光の中に浮いてたんですね。

そして、だれかが私に話しかけてきたんですね。「君は私たちと一緒に行くかい?それとも、もどるかい?」と。

私はその声を聞いて、なんだかいろんなことを急に思い出してきて、自分が生きてるということにどんどん興味がなくなっていくのを感じて、「そういえば、この人生に来るとき、自分はそんなに積極的に来たがってたわけじゃなくて、どっちかといえば、なかば無理やり来させられたような…」

私は「そして、これからこの光と一緒に行くところこそは、自分の本来の場所だ。私は今、思い出したけど、その場所のことをよく知っている。どうして今までそれを忘れていたんだろう。それにしても今まで私はなんと猥雑(わいざつ)な闇のようなところで過ごしてきたことだろう」と思い、光にむかって、「ぼくは君たちと一緒に行く!」と答えました。

すると光は意外なことを言うのです。

「君のお母さんが見えるだろう?君が行ってしまうと、お母さんは悲しむよ。それでもいいかい?」

私の前に、家にいる母親が見えました。母はひどく泣いていました。

私は急に引き裂かれるような悲しみにおそわれました。そして、それと同時に、この場所、この時代の中で、おおいなる体験を積むためにこそ、私はここに来たんだということも、突然に思い出しました。

そして、私は光に向かってこう言いました。「…ぼくはやっぱり、あそこにもどるよ」

それを聞くと光は輝きを増して、「そうかい。それはいいことだ。なんといっても、君の生きるべき場所は、あのお父さんやお母さんのいる、あの時空なんだからね」と言いました。

私は光に尋ねました、「君たちと、またいつか会えるかい?」

光は「もちろん会えるとも。君がこの人生から出てくるとき、君はまた、私たちと一緒になるんだよ」と言いました。

父親がボートから身を乗り出して、むなしく水中を手でさぐっていると、不意に私の手が指先に触れたそうです。

父親はその手をつかんで、私を思いっきり水から引き揚げました。「あのときゃ~本当にもうだめかと思ったけどな」。父親は感慨深げにそう言ったもんです。

う~ん、なるほどね。なんだか奇妙な話しでしょ?まあ、ずいぶん昔の記憶なので、いろいろ違っているかも知れないですけどね。

 

私が20代後半だったころ、知人のプロダクションから依頼されて、赤坂にあった選挙の広報を請け負う事務所の手伝いをしてたことがありまして、立候補する議員さんの選挙用ポスターのデザインをやってました。

まあ、デザインとはいっても、議員の顔をどれくらい大きくトリミングし、どれくらいギリギリの大きさで名前を配置するかということのみ重視した、いわゆるクリエイティブとは真逆の仕事でしたけど、当時の自民党の議員さん7~8人、あるいはもっとだったかも知れませんが、そのポスターを作ってました。

生まれてズーと政治というものにまるで興味も関心もなかった私が、政治家の選挙用ポスター作るってんですから、なんだか奇妙な体験でしたね。

その仕事の写真撮影のため、カメラマンの人と一緒に竹下登さんの事務所に行ったことがあって、撮影が終わった後、竹下さんは、デザイナー兼イラストレーターの私とカメラマンというヘンテコな組み合わせの撮影クルーに、ソファーにかけるように勧めてから、「日本の卵は過去から現在まで、値段の変わらない ”物価の優等生”なんだよ」なんてことを話してくださった記憶がありますね。

今でも、卵の値段は、その当時とあまり変わらないんじゃないですかね。

少し前までは、卵は多く摂り過ぎると体に良くない、なんて言われてましたけど、あれは間違いだったらしいですね。私はこのころ、卵を1日に1~2個食べてますね。プロテインの補給は、これでばっちりだと思いますね。

ホタル

夜、庭に出てみたら、夜空に光がスーと飛んで、「おー、ホタルだ」てことで、もうそんな季節になりましたね。

うちは近くに川があり、もっと近くには山から流れる谷川があって、そのあたりからホタルはやって来たのでしょう。

「子どものころは夜、川辺に行ってホタルつかまえたもんだな~」なんて思いながら、家に入ろうとしていると、さっきとは別のホタルがスーと低空で近くに飛んで来ました。

ホタルってのは、のんきにゆっくり飛んでるので、つかまえようと思ったら、わりと簡単につかまえられます。

ヒョイと手を伸ばし、両手のひらでつつむようにして、ホタル捕獲成功です。

まあ、すぐに放してやるんですけどね。

家の中に入り、手を広げると、モゾモゾ動いて、すぐに飛んで行こうとするので、手の中でころがして、なだめながらやっとケータイで撮影しました。

外の闇に放すと、ホタルはしばらく近くの草の上で光ってから、夜の中を飛んで行きました。

 

牛乳がこぼれそう

さっき、レンジでチンした牛乳の入ったカップを取り出そうとして、レンジの扉にカップが少し当たり、牛乳があやうくこぼれそうになりました。

こんな簡単な動作でも、ボーとしてたり、考えごとしてたりすると、この齢になっても、ミス動作は時々あります。

足の運びをミス動作して、タンスのかどに小指をぶつけた、というようなことも、ほんのたまにですが、やはり起こります。

自分の動作を無自覚に、注意をはらわず自動的に行なうと、いくつになってもミス動作というのは起こるものです。

ジョージ・グルジェフは、人は自分では目覚めていると思っていても、だれもがじつは人生の大半を眠ったまま生きているのだ、と言ってたと思いますが、たしかに、日々の日常の中で、自己自身に無自覚なまま生きていると、人間はまるで眠っているように自動的な動作をくり返し、さっきの私のように、カップの牛乳をこぼしそうになる、なんてことも起こってしまうということでしょう。

常に自分を見守っている、ということが、自己知、覚醒への道となる、てなことを、マスター、バグワン・シュリ・ラジニーシや白隠和尚も語っていたような、いなかったような…

まあ、自己知、覚醒はともかくとして、無自覚な動作は、せっかくあたためた牛乳を無駄にしてしまう危険性がある、ということだけは確かなことです。

(グルジェフの書籍)

プログレ

今じゃ、プログレッシブロックなんて、すっかり骨董品になってしまった音楽ですけど、私の中じゃあ、その一部は今も永遠にヒットしたままなんですよね。

まあ、プログレッシブロック(略してプログレなんて言われてますね)も、今思えば流行(はやり)もの的なところはありましたが、それでもその一部は、流行とか時流に乗っただけということを超えて、どこか彼方から出現した音楽、意図を超えた不可思議な創造のようであったなあと、私は思いますね。

先日、読んだロバート・フリップのインタビュー記事にはこう書かれてましたね、「プログレッシブのトビラは突然開きました。しかし、すぐにそれは閉じてしまいました。それが、またいつ開いてもよいように、われわれは鍛錬を続けています」と。

そうかあ、ロバート・フリップも苦しんでいたんだなあ~と、これを読んで思いましたね。

私はロバート・フリップ個人にはそれほど思い入れはなくて、クリムゾンの初期のアルバム数枚は、だれが作ったとも言い難い、なんだか人智を超えたもののような、超越的な雰囲気を感じてましたが、ロバート・フリップも当事者でありながら、そのことを強く感じていたんだろうなと、この記事を読んで思いましたね。

それは奇想の王国への入り口が突如ひらいたようにして起こった音楽のムーブメントだったんでしょう。

たしか、イアン・マクドナルドも、どこかで同じようなことを言っていたように思いますけどね。

そしてそれは、しばらくすると、来た時と同じに、どことも行方の知れない彼方へと消え失せてしまったんだと、まあ、そんなふしぎが、この世では時折起こることがありますね。

包丁を砥(と)ぐ

私が子どもだったころは、外に遊びに行くとき、ちょいちょいポケットの中に昔ながらの折りたたみナイフ ”肥後守(ひごのかみ)”を入れてましたね。

今じゃあ子どもがナイフを持ち歩くなんて考えられませんが、当時の子どもはそれで木の枝を削ったり、ヒモを切ったり、いろいろと使える便利なツールとして ”肥後守 ”を使いこなしてましたね。

エンピツ削ったりもしてました。ときどきは指を切ったりしましたけど、そうやって刃物というものの危険を身をもって学んでましたね。

また、庭の雑草を刈る手伝いさせられるときは、鎌(かま)なんかもよく使いました。

だから、子どものころから、自然に砥石(といし)で刃物を砥ぐということもやってましたね。

刃物を砥ぐというのは、なかなかむつかしいものです。

大切なのは刃を砥石に当てる角度を一定にたもつことと、その角度を保持したまま刃を前後に動かすことですが、これは何度もやって体感として覚えるしかなかったですね。

うちの台所にはV字型の切れこみで包丁こするだけの、簡易の包丁砥ぎ器がありますが、まあこんなので砥いでるうちは「包丁砥いだ」なんて、とても言えないですからね。

そこで、今回、思い立ってホームセンターで砥石を買ってきました。荒砥と中砥の2種類です。

さっそく砥いでみましたね、子どものころのあの感覚を思い出しながら。

ピッカピカに砥ぎあがると、気持ちいいですね~。新聞紙一枚に刃を当てて、サーと引くと、スパーときれいに切れますね~。

 

 

SとM

今は、若い女の子なんかでも「私はS」とか「私はMっ気がある」とか平気で言いますが、その語源を知ってるんでしょうかね。

「M」は ”毛皮を着たビーナス ”など、精神的肉体的苦痛を与えられることに性的快感を感じるということがテーマの小説を書いた、オーストリアの小説家、マゾッホの「M」。

「S」は、女性への虐待と苦痛を与えることに至上の快楽を見い出し、それをテーマとした病的で異様な小説を書いたフランスの侯爵、マルキ・ド・サドの「S」。

私は中学生のころ、サド侯爵の ” 悪徳の栄え ”を読んで、ひっくり返りましたからね。

男子中学生にはまったくもって強烈すぎる内容でした。

当時の岡山の田舎の本屋に、よくあんな本が置いてあったもんだと、今ではふしぎに思いますね。おおらかな時代だったですよ。

でも、中学生であった私は、その驚きとはうらはらに、「なるほど、こういう精神は、多かれ少なかれ人の中に確かにひそんでいるだろうな」なんて冷静に思ったことを覚えていますね。

” 悪徳の栄え ”はエロティックで暴力的なポルノグラフにいろどられた、人間精神の暗部に入り込んでくる小説ですが、これがエンターテイメントとして創作されたものではなく、サド侯爵自身の、真正な性癖の吐露であったことが、なおさらこの小説の異様さを際立たせています。

「私、Sなの~」なんて平気で言ってる女の子が、あの小説を読んだら、寝込んでしまうんじゃないかと思いますね。

(こちらは、背徳的ではあってもそれほど過激じゃない、ナボコフの小説「ロリータ」)