深夜のスナック菓子

食べ始めると必ず1袋まるごと食べてしまうお菓子の筆頭は、キャラメルコーンですね。

「まあ夜の11時も過ぎてることだし、三分の一くらい食べたらやめておこう」なんていつもそう思ってたのに、気がつくと全部食べてしまうけど、それは少し心構えがたりなくて、いわばスナック菓子を甘くみていて、充分な意志力を発動していなかったがための油断の1袋完食で、今回はあのときとは決意が違います。

私だって小2や小3の子どもじゃないんだから、この大人の決意と分別(ふんべつ)をもって、自らの食欲への制御と自制で事にあたれば、三分の一食べたところでピタリとやめ、袋の口を二重にも三重にも折りたたんで、全体に輪ゴムをかけて封をして、難なく深夜のスナック菓子食いまくり地獄をしりぞけることができるはず、と自分を信じて開封したキャラメルコーン。

ダメでしたね。1口2口と食べてるうちに食欲にターボがかかり、いつのまにか狂おしいような甘味への渇望(かつぼう)に支配され、「あ~うまい、あ~もっと食いたい」と、もはや小2、小3以下の分別すらなくなって、ポリポリ、ポリポリ食べすすみ、気がつくと袋はカラッポ。私は食べ過ぎに気づいてグッタリ。

キャラメルコーンは本当につくづくテゴワイ相手です。私もまだまだ修行が足りないと実感した、最近の深夜の出来事です。

タンジェリンドリーム

私が高校生のころ、「行くところまで行ったな…」と思ったのは、タンジェリンドリームというドイツの先鋭的な音楽ユニットのLPを買ってしまったときですね。

アンビエント音楽のはしりといいますか、電子楽器を多用した現代音楽的ロックバンドとでもいうようなグループで、私はそのファースト・アルバム ”エレクトリック・メディテーション”を、高1のとき買ったわけですが、1曲目の  ”万物の創生”から奇妙でうねるような電子音のうずがずっと続いて、”英知の瞑想”、”冷えた煙”、~”復活”にと至る全5曲、37分オーバーのこのLPを聴き終わったあとの感想は、「あ~あ、行くところまで行ったな…」という、けだるいトランス状態といいますか、私の思う音楽の感動とはまったく別ものの、ぐったりした感覚を味わう結果となってしまいました。

まあ、私には合わなかったということですね。こういう系の音楽ファンの皆さん、すみませんね。どうやら私の道はこれではなかったということのようです。

でも、今では、イラストの仕事のとき、ブライアン・イーノや、クラウス・シュルツなんかを流してるなんてことはありますけどね。

 

(”エレクトリック・メディテーション”LPジャケット)

 

”あたらしい草花あそび”

うちの庭の入り口に大きなイチョウの木があって、秋になると黄色くなった葉が大量に道に降りつもり、あたりが黄色のジュウタンを敷いたような景色になります。

道路に面した土塀の近くには、大きなモクレンの木もあったのですが、かなりの老木のため、昨年短く切りました。

枝が道路に張り出していて、万一、枯れ枝が落ちたりすると、危険なので、業者の人に頼んで短くしてもらったんですけど、クレーン車は来るわ、交通整理のガードマンの人は来るわで大変でした。

完全に伐採してしまうんじゃないので、神主さん呼んでお祓いしたりはしなかったですけど、切りつめた幹からはなかなか芽が出なくて、「枯れたかな~」なんて思っていたんですが、このまえ近くで見てみると、小さな芽が2つ出ていてホッとしました。

ここで、唐突ですが、草花を使って人形や指輪、はたまたカブトムシやクワガタまで作ってしまおうという、今までにない草花あそびの考案者、相澤悦子先生の本「あたらしい草花あそび」(山と渓谷社)が発売になったので、ご紹介させていただきます。

中のイラストをエンピツ画で描きました。点数が多くて大変でしたけど、素朴な風合いの良い本になりました。

書店で見かけたら、お手にとっていただければと思います。

サッカー日本、勝ちましたね。

ワールドカップ緒戦、日本勝ちましたね。びっくりしました。

私は特にサッカーファンというわけではなく、サッカーにはぜんぜん詳しくないんですけど、この勝利はさすがにうれしい驚きですね。

相手はコロンビアですからね。なんちゃらロドリゲスとか、よく知りませんが別次元のすごい選手がいっぱいいるんでしょ? 私はドシロートながら、「2-0くらいで負けるんじゃないかな」なんてボンヤリ思ってましたが、(サッカーファンの皆さま、申し訳ありません)始まったばかりのとこをテレビで見てたら、香川選手がいきなりPKで1点入れたので、びっくりしましたが、だいたいボクシングの試合なんかでも、私が気合入れてテレビ見て応援はじめると、その選手が決まって負けるので、今回も私はテレビ見ないで仕事してたんですね。

しばらくして見てみると1-1になっていて、「やっぱりな~」なんて思って仕事にもどり、「次に見たら、逆転されてるかもな~」なんて思って、お茶休憩のときにソ~とテレビつけて見ると、なんと2-1で日本。こうなると後半のアディショナルタイムは、さすがに私も「見てると負ける」なんてことは言ってる場合じゃなく、「ここはもう運命共同体。日本のため、不肖(ふしょう)わたくしめも、ひと肌ぬがしていただきます!」とばかりに、臍下丹田(せいかたんでん)に力をこめて、念を送りながら日本を応援させていただきました。

そしてみごとに日本勝利。日本チームの皆さん、監督さん、すばらしいです。この流れで、行くとこまで行っちゃってください!

(急遽投稿しましたので、画像はなにも思いつきませんでした)

” 青い鳥 ”

”青い鳥”といっても、メーテルリンクのじゃないんですね。

私が思い浮かべるのは、ザ・タイガースの名曲”青い鳥”ですね。中学生のころです。私の好きだった同じクラスのS子ちゃんが、ザ・タイガースに夢中でね、私は「フン!流行(はやり)ものに浮かれおって!なにがジューリ~だ。うつけものめが」と、くやしいような、悲しいような気持ちの裏返しで、「それが、どうしたの」的な冷ややかな態度をとってましたが、本当は密かに「いい曲だな~」なんて思っていて、歌詞にある「青い鳥を見つけたよ 美しい島で」の青い鳥とはS子ちゃんのことではあるまいか!なんておバカな妄想にふけりながら、この曲を聴いていたものです。

「だけど君は あの空~へ飛んで行くんだろう ぼくがこんなに愛していても」というところなんか、かなわぬ恋の予感に打ちのめされて、ひと知れずハラハラと落涙したものです(ウソですけど)。

夏休みだったか冬休みだったか、それの始まる前の最後の日、告白を決意して帰り道で待ちぶせしていたのですが、彼女はいつまでたってもそこにあらわれず、根気のなかった私は結局、その緊張に耐えられず、家に帰ってしまい、メシ食って寝てしまいましたね。

まあ、なんともいくじのないことです。

「青い鳥はもう二度と 帰って来なかった ぼくには はかない初恋だった」なんてね。正式にはつき合ってもないんですから、「帰って来なかった」もなにも、もともと鳥はカゴにも入ってなかったわけですけど、中学生の私には、それでいっぱいいっぱいでしたね。

zabadak ”五つの橋”

クレウス岬を左手に見ながら馬を走らせ、ピレネーのけわしい山脈を越えると、乾いた風の吹く草原へと降りくだり、なつかしい空の色と、赤茶けた大地が広がる中、商隊の列が馬の背に満載した異国の品々を運びます。

旅の男の背にはリュートに似た古い楽器が揺られ、長い長い旅路(たびじ)の途上、五つの橋を渡り、五つの丘を越えて、美しくも素朴(そぼく)な古(いにしえ)のメロディーを村々に響かせます。

夜になれば、明かりの下でチャルダッシュが踊られ、楽士の帽子の中には、喝采(かっさい)の声とともにきらめく銀貨が投げ入れられて、それはまるで夜空の星くずのような輝きを放ちます。

夢のような山々、平原に点在する美しい村や街。長く時が流れて、もう商隊の列はなく、旅の男も今はいませんが、あの古い楽器は、どこかの街の古物商のガラス棚の奥で静かに眠りながら、五つの橋を渡り、五つの丘を越えて旅したころの、遠い昔の美しい夢を見ていることでしょう。

歌いますは歌姫、上野洋子。ザバダックで”五つの橋”、お楽しみください。

(zabadak  のころの上野洋子嬢)

ベジブロス

野菜のくずを煮て作るのがベジブロスというスープだそうで、今までは捨てていた野菜の皮やヘタ、タネから煮だした汁にはファイトケミカルがたっぷりで、美肌、免疫力アップに効果的と、話題沸騰中のようです。

昔、飼ってたプレーリードッグにピーマンやると、人間の食べる部分なんかそっちのけで、中のタネをボリボリ食ってましたし、サルにシイタケやるとカサの部分じゃなく、柄を好んで食べますからね。

動物は本当に栄養あるところをわかっているということですよ。ジャガイモなんかも皮と実の境目に一番栄養があるらしいですし、トマトの皮むいて食ってるなんて、ホント信じられないですよ。

米だって、胚芽のところに栄養いっぱいなのに、そこを削って白米食ってるんですから気が知れませんよね。まあ、白米もうまいっちゃあ、うまいんですが、自然のものはなるべく丸ごといただくというのが正解ということですよ。

おでんの大根だって私は皮なんてむかずに、輪切りしたのをそのままぶち込んでますからね。

 

斎藤一人さん

1993年から連続12年間、納税額ベスト10入りの社長さん、”銀座まるかん”創業者にして、驚くべき霊能者、斎藤一人(ひとり)さんの講話は、ユーチューブで検索すると次から次に出て来て、聴いていると気分上々になってきます。

東京の下町生まれで7人兄弟の末っ子、中学校までしか行ってないらしいですが、その知恵は途方もないです。

子どものころ、大切に飼っていた猫が死に、死とは何かと徹底的に思い悩んでいたところ、光の玉があらわれて、死と生、肉体と霊魂に始まり、人の人生から宇宙の法則にいたるまで、あれやこれや教えてくれたというんですね。

そのことをまわりの人に伝えるために、お布施をもらう布教者でなく、自分で稼ぐあきんどになってやろうということで創業。2004年までの累計の納税額なんと173億円というから途轍(とてつ)もないです。

でも話し方は下町のおっちゃんてかんじで、とっつきやすいんですね。

アメリカ人で、神と対話したニール・ドナルド・ウォルッシュという人の本、”神との対話”(サンマーク出版)の中に、そのメッセージが神から来たものかどうかを判断するには、それが「すばらしい考え、曇りない言葉、偉大な感情」に基づいていれば間違いない、と書いてありましたが、「すばらしい考えには喜びがあり、曇りない言葉には真実があり、偉大な感情とは愛である」とあるとおり、斎藤一人さんの話しは、まさにその「喜び、真実、愛」があって、しかもちょっと落語みたいなところもあって、気楽に聴けます。

(ユーチューブ 「光の玉」が教えてくれた今日から幸せになる千年たってもいい話 検索)

夏は来ぬ

白色のうの花が、垣根(かきね)に匂っています。

庭の木には早くも時鳥(ホトトギス)が来て鳴いていて、急に曇ったかと思うと、つかの間の雨。近くの田圃では、農家の人が苗を植える手を休め、裳裾(もすそ)も濡(ぬ)れんと跳(は)ねる雨つぶを避けていますが、じきに日は射して、あたりの新緑はまばゆいばかりの輝きです。

もうすぐ夏が来ます。

栴檀(せんだん)の花の咲く川辺の宿には、夕方、門(かど)遠くの枝に水鶏(クイナ)の鳴く声がして、夕月は涼しく、夜になると窓近くには蛍(ホタル)が飛びかっていて、日本の夏の始まりは本当によいものです。

さつきやみ、蛍飛びかい、水鶏(クイナ)なき、うの花も咲きほこり、風の通る水田には早苗も植え終わり、今年もそろそろ、待ってましたの夏は来ぬ、ですね。

 

鳴く鹿の声きく時ぞ

鹿の野郎が入ってくるんですよ、うちの庭に。そうです、奈良の公園なんかでセンベイ食ってる、あの鹿です。

夜中に入ってきて、芽が出たばかりの野菜だとか、庭木の新芽だとか、なんでもかんでも食ってしまいます。

一番アタマにくるのが、バラの新芽を食いやがったことです。

春になって暖かくなって、バラの新芽が出て来て、「おお、育ってるな」なんて思ってると、ある朝、なんだかバラの枝がスカスカになっていて、見ると、やっと茂りはじめた若葉も新芽も、食われてしまってるんです。

それを見たときは本当アタマに来て、猟銃の免許取って、山に入って撃ちまくって、このあたりの鹿、全滅させたろかいな!(野蛮ですよね)と思ったくらいです。

古今集でしたっけ?「鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき」でしたっけ?そんな歌で風流がってる場合じゃないだろうと思いますよ、現代は。

うちの近所の山じゃ、夜になると、しょっちゅうピーピー鳴いてますからね、鹿どもは。それ聞いたって、ちっとも悲しくないってもんですよ。「いっちょう、やったろかいな!」なんて、鹿おどし用のロケット花火持って外に行って、鳴き声のする方に向かって5~6発撃ち込んでやります。

夜中ですからね。イノシシでも出てきたら大変なので、草刈り用の大鎌(オオガマ)持ってね、電池で照らしながら、ライターとロケット花火持って、長グツはいて、山ぎわに分け入って行くわけです。

巡回中のパトカーに見つかったら、絶対不審者として職質でしょうね。まあ、そんくらい体はって鹿と戦ってますね。

(これが「鹿おどし用ロケット花火」)