悪魔 ━ 夜想的なこと

昔、ニューミュージックマガジンという雑誌で、悪魔を特集した記事があって、ゴブリンだの、インクブスだのが、中世のころの挿絵とともに紹介されていて、すごく魅力を感じた覚えがありますね。

私は若いころから、手放しに明るい天上的なものよりも、影のある秘めごとといいますか、少しおそろしいところのある魔的な神秘に惹(ひ)かれるきらいがあって、さんさんと輝く太陽のもとでのほがらかな活動よりも、夜の闇がおりなす神秘な夢想のほうがしっくりくる、というたちで、そのためかどうか、どちらかといえば夜型人間でしたね。

昼間は実用的で、ちゃんとしてなきゃいけないのが、夜だとね、多少ずるずると浮世離れしたあり方も許されるような気がして、昼間、太陽の光のために見えなかった星々も、夜空にはきらめいていて、夜の暗さというものは、昼間の抜けるような青空とはまた違ったおもむきがあると思ってます。

どこまでも明朗なものごとは、それはそれで良いのですが、快活さも永遠となると疲れますね。

そして、暗さも時としては安らぎになるというものです。陰陽、陰陽、ですよ。

それでまあ、悪魔にも惹かれたと。もっとも、悪魔が安らぎにつながるかというと、それはそうでもない気もしますが、ものごとすべてバランスだということですよ。

だから私は自分が、そういう暗部に惹かれても、それはそれで良いのだと思ってますね。

「闇を恐れる者は、光にも至れない」なんてね、そんな箴言があったかどうか知りませんが、悪魔あるいは夜想的なことは、私にとって近しいもののひとつですね。

(昔のニューミュージックマガジン)

” テイク・ファイブ ”

2025年に大阪万博、決まったそうですね。1970年の大阪万博には中学生のとき行きました。

どこの国のパビリオンだったかは覚えてないんですが、デイブ・ブルーベック・カルテットの名曲、 ” テイク・ファイブ ”が流れていて、私はそれを聞きながらワクワクしたのを覚えてますね。

音楽には相性(あいしょう)というのがあると思いますが、私はどうもジャズが苦手で、体質的に合わないみたいですが、唯一、強く惹かれたのが、この ” テイク・ファイブ ” です。

曲名を知ったのは後になってからですが、耳にするたびに「なんていいメロディーなんだ」と思いましたね。

だから私の場合、音楽はなんでもかんでも、まずメロディーありきなんですね。クラシックだろうが、ポップスだろうが、行進曲だろうが、唱歌だろうが、メロディーが良くなきゃ始まらないと思ってます。よいメロディーは天からの賜(たまわ)りものだとも思ってますね。

だから、メロディーが生まれるのはじつに神秘なことだと思っていて、人にはそれぞれ固有のメロディーがあるような気もしてます。

ヴェートーベンや、モーツァルトや、ポール・マッカートニー や、キース・リチャードや、桑田佳祐さんや、まあ、こんなにゴチャまぜにしていいかどうかわかりませんが、すべて、その人固有のメロディーを奏でるに至った人だという気が、私はしています。

ちょっと話しがズレましたけど、1970年に開催された大阪万博の思い出といえば、 ” テイク・ファイブ ”くらいで、あとはなんにも覚えてないですね、どうしたもんでしょうね。

(唯一持ってるジャズのレコード)

過去生

過去生ですか?そうですね、思い出せる過去生としてはですね、イタリアあたりで壁画描く職人なんてのを長くやっていて、大きな仕事としまして、メディチ家なんかの厨房に、ブドウの木の下で酒宴やってる、華美にして装飾的なバッカスの絵なんかを描いたりして、けっこう評判よくてね、当時のお金で450リラだったか、まあけっこう稼いでましたね…。

あるいはスペインでは、「ベラスケスってのは、うまい絵描くもんだな~」なんて思いながら、下級貴族の肖像画を描く仕事したり…。もっと前は、ローマから逃げてたカラヴァッジョとばったり出会って、ナポリの貴族に紹介して庇護してもらったりね、あれは血気さかんでむちゃくちゃな男でしたから大変でしたけど、まあいろいろありましたが、ヨーロッパでは絵描き職人ですね私は。何度かやってましたね。

あとはエジプトですね。神官がサイコキネシスってんですか、あれを使ってピラミッドの石を宙に浮かせて運んでるの見て、自分でも真似してみましたが、石は1ミリも浮き上がらなくてガッカリ、なんてね。神官は代々世襲でね、女の人はなれないみたいでしたよ、神官に。だから能力のある女の人はきのどくでしたね。男女不平等でしたよ、当時のエジプトは。

ああそれから、ちょっと前のドイツでは、リューベックで、親のコネでクレーゲル商会というとこに職を得ましたが、私は事務職は続かなくてね、ジプシーの女の人連れて南方に逃げたなんてこともありました。すぐ別れましたけどね。ほんと、どうしようもない人生でした。

まあ、人間あっちこっち生まれ変わり、出変わりするということですよ。今回はなるべくまともに生きようと思っています、ホントに。

 

ギュスターフ・モロー 作 ” 神秘の花 ”

私はその昔、スペインに行ったことがあって、本当ならその足でフランスにも行く予定でしたが、のっぴきならない事情があって、バルセロナにずっと留まって、そこから日本に帰国したのですが、予定通りに旅が進み、フランスに行ってたら、パリはサンジョルジュ駅から歩いてすぐ、ロシュフーコー通りにあるギュスターフ・モロー美術館を見に行ったでしょうね。

モローは恵まれた画家だったですね。

充分な収入と親しい友人たちに囲まれ、自分の芸術に専念し、その上、アレクサンドリーヌという若い恋人と永続的、内密な関係を持ち続けたということですからね。

その絵画は耽美的、神秘的であり、技術も優れ、神話的内的世界にひたっていて、後期の絵では、ほぼ抽象的と言ってもよいほどの先進的油彩画を描き出したという、その生涯は、まさにこれ以上ない芸術のかおりに満ち満ちたものだったと言えるでしょう。

モロー美術館の3階アトリエに通じるらせん階段のわきには、私の気に入りの作品、大作の ” 神秘の花 ”が飾られてます。

行ったこともないのに、どうしてそんなこと知っているのかというと、デアゴスティーニ発行の冊子 ” 週刊アートギャラリー モロー ”の中、この美術館の紹介が載っていて、そこにあるらせん階段の写真の左隅に、かろうじて見切れたかんじで、” 神秘の花 ”が写っていたからなんですね。

私はそれを発見して、あたかも自分がそこでそれを見てきたようなふうに、そのことをここに紹介したと、まあそんなわけですね。

メメントモリ(死を思え)

誕生日になるとみんな、「お誕生日おめでとう」と言いますが、すべての人間は確実にいつか死ぬということが、厳然とした決定事項であるワケですから、実際の話しとしては、その「お誕生日」から、確実に死へのカウントダウンが始まっているということになります。

「エンギでもないこと言うな」とお叱りの言葉をいただきそうですが、これは本当のことだからしょうがないですね。

ドストエフスキーがたしか小説 ” 白痴 ”の中で描写してたと思うんですけど、人間は自分が実際に処刑場に引き出されるというような体験で、死を目前のものとして意識するようなことがないかぎり、自分が死ぬことのリアリティは実感できないものなんでしょうね。

私も若かったころは、自分がいつか死ぬなんてことは絵空ごとのように思ってましたけど、この歳になりますと、「人間のまわりには死が満ちているんだなあ」と感じるようになり、それは自分自身にとっても現実の体験として確実に起こることだというのが、リアルに意識されるようになりましたね。

こんな重大なことに直面してるのに、みんなよく平気で生きていられるもんだな~と、最近よく思いますね。

私が読んだスピリチュアルな本の多くには、「死は幻想であり、人は肉体は死んでも、その本体である魂は死なない」といった意味のことが書いてありますが(そして私もそれが本当のことなんじゃないか、と思ってますが)、こればかりは実際に自分で死んでみるしか確かめる手はないでしょうね。

インデアンのある部族では、子どもの誕生は、あの世から離れてこちらに厳しい修行に来たということで手放しでよろこぶことはせず、逆に、人の死は、あの世へもどるということで、よろこびをもって送り出す、というのを聞いたことがありますが、自分が実際に死んだとき、それはあたかも現実という夢から醒めたといったように、物理的制約から解放された存在として生き続けている自分を発見するのであれば、それこそが真の「よろこばしい誕生」ということになるのかも知れません。

まあ、今日はちょっとメメントモリ(死を思え)してみましたね。

フランク” ヴァイオリンソナタ・イ長調 ”

フランクの” ヴァイオリンソナタ・イ長調 ”ほどに叙情的な音楽を私は他に知りませんね。

それはたとえばこんな感じです。小説” トニオ・クレーゲ ル”の中にはこうあります。

子どもであるトニオが、カドリーユのレッスンのとき、密かに愛する金髪のインゲに気を取られ、我にもあらず婦人のパートの旋舞を踊ってしまったとき、その休憩の間に、気まずさに沈んで自問する場面、「なぜ、自分はこんなところにいるのだ。なぜ自分は自分の部屋の窓辺に座って、シュトルムの” 湖畔 ”を読みながら、胡桃(クルミ)の老木がもの憂い音を立てて枝を鳴らしている、その薄暮れの庭に目をやってないのだ」と━、そしてこのときに裏庭にあるその老木が、サラサラと揺れる映(うつ)し画(え)に重ねて流れてくるのが、フランクの ” ヴァイオリンソナタ・イ長調 ”の4楽章などというわけで、これこそまさに叙情的の本来の意味を、調(しらべ)として奏でた音楽であるという、まあ、なんともあまりに独断的な決めつけということになるのですが、そこは私の一方的な心象風景とそれにまつわる音楽ということで、お許しいただきたいと、こう思うような次第であります。

このように(どのように?)、フランク作曲の ” ヴァイオリンソナタ・イ長調 ”は、哀しいようなあこがれを隠した、はかなくも美しい憂いとともにある叙情性の音楽であると、私はそんなふうに思うわけであります。

(ヴァイオリンはオイストラフ、ピアノはリヒテルによる録音のLP)

気分

私は気分の浮き沈みがはげしいですね。今日なんか、昼過ぎたころから沈みました。

「これは一体どうしたもんだろう?」と自問しましたが、特に理由があるようには思えないんですね。

なんだか物事に行き詰まり感があって、不安なような、うら哀しいような…、出生時のトラウマが原因でしょうかね、私は難産だったと聞いてますから。

あるいは肉体的体質ですかね。ピポコンデリーといいますか、腺病質といいますか、もともとやせ型で食は細いほうなんですが、そのわりにさっきなんか昼メシをけっこうガッツリ食って、そうすると消化するのに血液は腹に行って、脳は血のめぐりが悪くなるので、それがためか気分もどんよりしてね、ちょっとテレビ見たら、Eテレで南イタリアのオストゥーニの街歩きの映像が映っていて、「あんな白壁の街に住んでたら、まわりじゅうが好ましい風景に満ちていて、なんと幸福な人生であることだろうか」なんてボンヤリ妄想していると、なんだか急に、そこに住んでないことの自分の不運が気になりだしたりして、さらに気分は滅入ってきて。これじゃどうしようもないですよね。

でも、まあ時間は徐々に過ぎて夕刻、知らぬ間に気分も少しずつ上向いて、今はこうして、自分を客観視した言葉など書きつらねることもできるまでになってきたという、まあ、そんな感じですね。

50年前の学生運動

テレビ見てたら、全共闘と新左翼の学生による東大安田講堂の占拠を特集してましたね。

1969年ですから、今から50年前のことです。私はまだ中学生になったかどうかの頃ですので、テレビでやってるニュース見ても、あまりその内容を理解しないまま「なんだかスゴそうだな~」と、ボンヤリ見てましたね。

当時の大学紛争って何だったんでしょうね?あの頃、闘争に参加してたという人が、インタビューに答えて、「このやり方では何かを変えることはできないと思った」と言ってましたが、まあ、あの頃の学生は熱かったということでしょうね。

豊かになりつつあった日本で、いろいろ矛盾も見えてきて、漠然としたより良き世界のために、「自分も何かしなくては」なんて衝動に動かされて、若さの限り突っ走った、てことでしょうか?

革命とか社会変革とか、表面的にはそんなテーマで、あの頃の時代の風潮といいますか、一種流行のようなかんじもあって、もう子どもではないが、そうかといって、会社の中に組み込まれた社会人でもなかった、若く、少し未熟な、それでいて熱情的な学生が、その内側にたぎっていた憤懣を、とにもかくにもぶちまけたという、そんなことの結果があの闘争だったのかも知れません。

私が教えて頂いた古神道の先生(故人)は、「太平洋戦争で” お国のため ”を思い死んでいった多くの英霊が、軍国主義の国家のやり口に気づいて、その怒りを持って生まれ変わって来た」と言われて、そのエネルギーが学生運動となったというような意味のことを本に書かれてましたが、「なるほど、そんなこともあるかも知れないな…」なんて、この世のふしぎを思ったものでした。

(少し後、昭和45年頃のCMポスター)

福音館書店 ”ねじ ”

数年前、福音館書店さんから ”ねじ”という絵本を出させていただきました。

編集のYさんに助けてもらいながらなので、私ひとりの仕事とは言えないんですけど、私の好きな鉛筆タッチの細密画で仕上げて、なかなかいいかんじの絵本になったな~、なんて自画自賛してましたけど、それがこのたび中国でも出版の運びとなったと連絡があって、日本のみならず、中国のお子さんにも” ねじ ”のおもしろみを楽しんでもらえるとは、ほんと一生懸命エンピツ削りながら描いたかいがあったというもんです。

”ねじ ”を描く前には、その下調べとして、大阪のネジ専門メーカーに、Yさんと一緒に取材におじゃましたりして、おみやげにいろんな種類のネジをいっぱいもらってきた、なんてこともありました。

世の中には巨大なのから極小のものまで、いろんなネジがあって、我々の機械文明はこれらのネジによって可能になっていると言っても過言ではない、とまあ、普段(ふだん)あまり考えもしない「ねじ」のことを掘り下げた絵本でして、私は同じような鉛筆画による次なる絵本を考えているところですが、どんなものであるか、それは絵本がかたちになるまではヒミツということで、ご期待いただければと思います。